妻の入院に動揺。以外な自分の心の変化,何もできない夫

スポンサーリンク








妻が入院することになりました。

別に悪い病気ではなく、よくある盲腸のような手術を受けるだけのことなのですが、最初は特に気にもかけていなかったのの、入院の日が近付くと、思いのほか動揺している自分がいました。

妻の存在の大きさを知る。。

我々、普段の生活の中で、夫婦協力しながら、やってきました。

ものすごく仲が良いわけでもないですが、悪いわけでもなく、ごく普通の夫婦として息子を大学まで育て上げ、つつましやかに毎日の生活を続けてきました。

あたりまえの毎日の連続性がありましたが、妻の入院により、その連続性が崩れてしまった。

 

手術が必要な事を知ったのは半年も前の事。

特に心配することもないので淡々と日々を過ごしてきたものの、日、一日と近づくにつれて本当に大丈夫だろうか、手術は本当に上手くいくのだろうかと、意外にも驚くほど心配になっている自分がいました。

勿論手術を前にした妻の前で、おろおろした姿は見せるわけにはいきませんので鷹揚に構えているものの、自分の動揺ぶりに、我ながら自分自身驚いてしまいました。

飲みに行こうかなどと思っていたものの、手術の日が近づくにつれ、とてもとてもそんな気持ちにはならない。。

祈るような気持ちの自分がいました。その点、妻の方が悠然と構えていました。

スポンサーリンク

妻が家を離れる事で気付いたこと

普段、妻は専業主婦ですので家の事は全て妻に預けています。

情けないことに、家庭生活を全て妻に任せっきりだったツケがまわってきました。

 

ゴミのだしかたやら洗濯の仕方やら、いざとなってみれば、あれこれとわからないことだらけ。たちまち不自由な自分を事を思い知らされました。

専業主婦としていかにしっかりと切り盛りしてくれていたのかを思い知らされ、私に心に棲む妻の存在の大きさを、その不在によって知らされました。

 

しかししっかりしたもので入院の前日は箪笥などに付箋をはり、詳細にメモを残し、どこに何があるのか、何をすべきかを示してくれていました。

 

長年連れ添い、私が何を不自由するか手に取るように解っているのでした。

 

少し弁護すると、私は家事もやっていました。

皿を洗ったり、アイロンをかけたり、お風呂を洗ったり等、私の役割としてやってきました。

 

休日のない主婦という仕事を持つ妻の労力を軽減しようと思っていましたが、実はここまでやれば大丈夫かなという甘えがあったのも否めないと思ったのも妻の不在で思った正直な感想です。

 

ふと小津安二郎の「お茶漬けの味」という映画を思い出しました。中年のすれちがいの夫婦が夫の海外出張で不在となった瞬間、その不在感から夫の存在をあらためて思い知り、飛行機が欠航となって戻ってきた夫に、妻は心のこもったお茶漬けを出します。

何だかまさに、あの映画を思い出されました。

 

しかし妻の不在で晒してしまったドラマで見るようなダメ亭主ぶりに思わず苦笑です。

 

いなくなって知る、妻の存在の大きさ。

たった一週間とはいいながら、これまで家庭を離れることのなかった妻の不在は、夫婦を考える為の天の声だったのかもしれません。

 

案外と弱いものですね。男というのは。一般論とするのは飛躍でしょうか。。。

 

引き出しという引き出しに付箋がはってある一枚一枚に、こんな時にはこうすればよいという指示書に、痒い所にすべて手の届く完璧な手順を示してくれた妻に思わず胸がいっぱいとなってしまう自分でした。

まとめ

夫婦はあまりに当たり前の存在です。

がそれぞれ一個の独立した人間として、互いを本気で尊重しているつもりです。

頭と行動は必ずしも一致していない事に思い知らされました。

この体験を通して妻に心から感謝しつつ、間もなく戻ってくる妻を心待ちにしています。

退院したら、二人で夫婦であることについてお互いに話をしてみようと思います。

スポンサーリンク








コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください