新紙幣の新しい顔は誰?渋沢栄一津田梅子北里柴三郎の経歴は?

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こんにちは、ツクです!

速報が入ってきましたね。

2004年以来、紙幣が新しく刷新されるとのこと。

元号に引き続き、今度は使い慣れてきた紙幣も新しい顔になるとの事、驚きました!

紙幣も変われば、新しい時代がやってきた!という気持ちがより実感をもって感じられますね。

新紙幣の顔は一体誰になるのでしょう。

報道によればま、1万円が渋沢栄一、5千円が津田梅子、千円に北里柴三郎になるのだとか。

3人の人物がとても気になりますよね!

「新紙幣の新しい顔は誰?渋沢栄一津田梅子北里柴三郎の経歴は?」として纏めてみたいと思います。

それでは、早速進めてまいりましょう!

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新紙幣の新しい顔は誰?

速報ニュースが飛び込み、はじめ新しい顔が誰になるのかわかりませんでした。

あわててニュース等を調べてみたら三人の人物が浮かび上がりました。

渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎。いずれも名前は良く知っている人物ですね。

福沢諭吉も、樋口一葉も、野口英世も新しい紙幣に切り替わったら、懐かしい顔になってしまうんですね~。

新しい紙幣の顔となる人物、名前は知っていますが、そもそもどんな経歴の人たちなのでしょうか。

渋沢栄一津田梅子北里柴三郎の経歴は?

渋沢栄一

江戸時代は天保の世に、現埼玉県深谷市の豪農の家に生まれ、のちに実業家となります。

渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕をともに扱い、米、麦、野菜の生産も行っていた豪農の家で育ちました。

金銭豊かな豪農の家に育っただけに、経済的な観念は自然幼い頃より持っていたのでしょうね。

幕末の時代、日本中が熱くなっていた中、渋沢栄一も当時はやっていた尊王攘夷の志士として活動をはじめます。

密かに倒幕の活動をしていましたが、幕末の志士として活躍する為、京都に出るも、時は長州が8月18日の政変で一掃されたあと。

静かになった京都でした。

渋沢栄一は逆に一橋慶喜に仕えることになります。知人が側近だったのです。

後、幕臣にとりたてられ、渋沢栄一の運の強さと天命を感じるのは、幕臣としてヨーロッパへ渡れたことです。

パリ万博に、将軍の名代として出席する慶喜の異母弟・徳川昭武の随行員の一人として海を渡ったのです。

そして広い世界で見分を広めるのです。

この時、通訳にあたったのは、かのシーボルトの長男、アレクサンダーで、その後も交友を深めることとなり、渋沢の視野は狭い日本から広い世界規模に広がってゆきました。

帰国したのは明治。明治維新の動乱を経験することなく、帰国して新政府に迎え入れられ、大蔵省に出仕することになります。

退官後は実業界で大活躍し、沢山の企業の設立に関わります。

企業を数々と設立し、今でも大企業として君臨する東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙、キリンビール、サッポロビールなど続々と立ち上げ、何と500以上にも及ぶというのですから恐るべき人物です。

まさに近代の経済界の基礎を作った、信じられないほど凄腕の想像をはるかに上回る経済人ですね。

社会活動でも力を発揮、東京慈恵会、日本赤十字社、聖路加国際病院初代理事長などその社会に対する活動の範囲は多岐に渡ります。

道徳経済合一説という渋沢栄一の理念が素晴らしいのです!

「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。」

「事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。」

驚くほどの業績を残した渋沢栄一のこの言葉は、襟を正して心に刻み付けたい言葉です。

 

津田梅子

津田梅子は女子教育の先駆者です。

そう津田塾大学の創設者として有名ですよね。

 

津田梅子は江戸時代に幕臣の娘として牛込に生まれます。

幕府瓦解後、父は明治政府の事業である北海道開拓使の嘱託となります。

当時、開拓使次官だった黒田清隆(のちの総理大臣)は女子教育にも関心を持っており、彼が企画した女子留学生に梅子を応募させたのだそうです。

このまだ明治になってまだ間もない新政府が、まだ封建的な空気の抜けきらない時代に女子の教育に力を入れていたという事実にも驚かされます。

津田梅子は、岩倉使節団に随行して渡米した5人のうちのひとりで、その時、何と最年少の満6歳だったというのですから全く驚き、感動を覚えます。

梅子はアメリカで英語、ピアノなどを学びはじめ、様々な学問を身につけ、11年に及ぶ留学の後、帰国します。

しかし、帰国するも、日本ではまだ女子が活動できる世ではなく、一緒に留学していた山川捨松と永井繁子は軍人に嫁することになりました。

 

津田はまだわずか6歳で外国へ渡ったものですから、帰国後は日本語よりも外国語の方が流暢になってしまい、日本語の通訳が必要なほどだったとか。

大坂なおみのような状態ですね。

日本では教育者として名高い下田歌子と懇意になり、華族女学校で英語を教えました。

しかしどうも上流階級にはなじめなかったようで3年で辞めて、再び留学しています。

海外では日本女性留学のための奨学金設立し、公演や募金活動などを行ったりもしていたようです。

帰国後再び華族女学校に勤めたのち、自ら女学生を預かり女子教育をするようになります。

そして津田塾の設立につながってゆきます。

女子教育に人生を捧げた物凄い人物ですね。

 

北里柴三郎

北里柴三郎といえば世界に名だたる日本の医学者・細菌学者ですね。

「日本の細菌学の父」と言われ、ペスト菌を発見し、破傷風の治療法を開発、感染症医学の発展に貢献したこの人もまた、もの凄い人物です。

 

1853年1月29日(嘉永5年12月20日)に、肥後国阿蘇郡小国郷北里村の庄屋の家に生まれます。

幼少よりかなり厳しく躾られ、漢学者の伯父から四書五経を教わりました。

その後も学問に精を出し、熊本医学校に入学、そして東京医学校(現・東京大学医学部)へ進学しました。

凄いのは、在学中に既に「医者の使命は病気を予防することにある」と確信したのだそうです。

この時代にあって予防の重要性に目をつけたことに凄みを感じます。

そして予防医学を生涯の仕事とする決意をし、「医道論」を書いています。

その後、ドイツベルリン大学へ留学、有名なコッホに師事します。

ここで、まだ後進国と思われていた日本の若者が、世界で初めて破傷風菌だけを取りだす破傷風菌純粋培養法に成功し、1890年(明治23年)には破傷風菌抗毒素を発見するという、世界の医学界を驚嘆させる実績をたたき出したのですから凄い事です。

さらに血清療法という、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発しています。

1890年(明治23年)にその血清療法をジフテリアに応用、同僚のベーリングと連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という論文を発表しました。

これが第1回ノーベル生理学・医学賞の候補にあがったのです。

しかし、結果は何と共同研究者のベーリングのみが受賞するという片手落ちとも思える結果でした。実績としては北里柴三郎がノーベル賞をとったも同様でしょう。

北里柴三郎の研究成果はまだまだ続き、帰国後もペスト菌を発見、その後私費を投じて私立北里研究所(現在の北里大学の母体)を設立しました。

北里柴三郎の偉大さは決して私利私欲なく、ひたすら研究の道に、医学の向上に身を捧げ、その生涯に感動を覚えます。

 

実に紙幣の顔としてふさわしい三人

明治という時代、凄まじいばかりの人物がなぜこれほどまでに数多く日本に生まれたのでしょう。

日本人のポテンシャルの高さなのでしょうか。

想像するに、明治という古い価値観と社会の枠組みが外れて、自由がもたらされました。

突如既成の枠から解き放たれて、自分を縛っていたリミッターが外され、江戸時代に醸成された文化的な力が一気に留まるところをしらず、伸びていったのでしょう。

その後作られてゆく社会の枠組みもなく、まさに自由。

いかに自由な心はどこまでものび、気がついてみたら驚くほどの高みに上っていたということなのではないでしょうか。

三人に共通するのは、江戸時代に生まれ、明治となってその後の社会へ大きな大きな財産を残した巨人でした。

平成から令和になり、振り返って範とすべき巨人達です。

令和の時代に繁栄がもたらされるのか、奇跡は私たちにかかっていると三人の経歴を見て強く感じさせられます。

 

まとめ

ニュースの流れた新紙幣の新しい顔となるのは誰かと思えば、渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎の三人でした。

三人の経歴は、なんとも凄まじいと感じるほどの巨大な事績を残しています。

どうして一人の人間の力で、これほどの業績を残すことが出来たのだろうと圧倒されるばかりです。

新時代で封建制とう枠から解き放たれ、ただひたすら、身を捧げ、事績を積み上げた結果なのでしょう。

明治という時代の大きさを感じさせられます。

新しい令和の時代をむかえるにあたって、紙幣の顔として実にふさわしい人たちですね。

「新紙幣の新しい顔は誰?渋沢栄一津田梅子北里柴三郎の経歴は?」として纏めてみましたがいかがでしたでしょうか。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 


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