豊洲市場移転で築地にブランド力は残るのか?移転後の姿は?

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いよいよ築地市場は豊洲に移転します。

長い道のりでした。豊洲市場移転決定から都知事が何人変わったことか。

汚染水問題で移転は二転三転し、ようやく移転の運びとなりました。汚染水に関する科学的根拠や建築上の問題については全くの門外漢なのでさておき、市場が移転する事の意味について考えてみました。

そしてよく耳にする豊洲ブランドという言葉の意味について考えてみたいと思います。

豊洲へ移転した後に豊洲ブランドというものが存在しうるのか、移転後の築地について考えてみました。

「豊洲市場移転で築地にブランド力は残るのか?移転後の姿は?」と題して考えてみました。

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豊洲市場移転で築地にブランド力は残るのか?

市場は築地から豊洲へ移転するのは、極めて自然な流れです。

豊洲市場移転で築地にブランド力は残るのでしょうか?

歴史を振り返ってみれば、江戸時代の市場は日本橋にありました。関東大震災後に築地へ移転、そして平成も変わろうとするこの時代に豊洲へと移転。豊洲市場移転で築地にブランド力は残るのでしょうか?機能移転後残る事はないのではないでしょうか。

何故市場が移転するのかと言えば、かつては海の場所が遠くなっているから、そして物流の拠点としての役割を果たせる場所としてもっとふさわしい場所があらわれたからです(とりあえず汚染問題はさしひき)。

江戸時代より江戸の海は、江戸前と呼ばれていました。古地図を見た時、驚くのは江戸城のすぐ目の前が東京湾だったんですね。

当時の地形を考えた時、又魚が海から引き上げられるものであることを考えた時、すぐ目の前に海があった日本橋に市場が出来たことは極めて自然な流れでした。

その後江戸前の海は埋め立てられ、どんどん陸地は伸びて行きました。江戸時代が終わった当時の築地は海に面し、まさにその時、市場といてふさわしい場所は築地だったのです。

しかし市場が出来る前のイメージと言うのはどんなものだったのでしょう。

江戸時代も末期、ペリーが来航し、国の扉を海外に開いたとき、築地分留地として異国の人をとどめおこうとした土地が築地でした。

明治後は文明開化の象徴的な場所となります。協会が作られ、ミッション系の学校が作られ異国文化の香りのする場所でした。築地といえば現在、築地本願寺が何故か西洋の建物のようなたたずまいであるのもその歴史を考えれば頷けます。

築地に市場が移転したのは案外新しく、大正時代の関東大震災後、東京の再開発により築地に市場が作られ、異国の香りから、魚の香りに変わったのです。

移転後の日本橋は、金融の街として発展し、かつてそこに市場があったという歴史的記憶だけが残りました。

豊洲市場移転で築地にブランド力は残るのでしょうか?というよりも機能移転後は新しい役割をはたすべきなのではないでしょうか。

時代は変わります。その時代の要求に応じて町は姿を変えます。今の時代、魚の物流拠点として最も地理的にふさわしい(汚染水の問題はさておき)豊洲が選ばれ移転したあとに、かつて築地にあった市場という言葉は既に過去のものでしかありません。

市場移転後の築地の姿は?

市場移転後の築地の姿はどのように変わっていくのでしょうか?

豊洲市場移転で築地にブランド力は残り得るのでしょうか?機能が移転した後そこに残るものは何でしょうか。市場移転後の築地の姿はどんなものなのでしょうか?

かつて文明開化の象徴的土地であった築地が変化を遂げたように、その土地には新たな役割が生じます。市場移転後の築地の姿は変わらなければならないのです。

機能が豊洲に移転する以上は、新たな土地の役割が生じます。街は生きており、その時々の役割を果たしていかなければならないのではないでしょうか。市場移転後の築地の姿は全く新しい顔にかわらなければならないのではないでしょうか?

観光地としての意味は理解できないでもありません。ドイツにローテンブルグというおとぎ話にでてきそうな中世の都市が残っています。

そこは第二次世界大戦でほとんど爆弾で破壊された街でした。街は近代都市として生まれ変わるか、昔のままの形を残すか議論が分かれ、昔のままの姿を復元する事を選択しました。

そして今、ドイツ観光地の目玉として毎年大勢の観光客を集めています。

しかし東京は、外国人観光客も増え、観光地としての役割も増えてきましたが、その前に日本の首都という機能の街であり、良かれ悪しかれ、市場という本体が移転した後は、築地の姿は新しい築地としての、街と街を繋ぐその土地としての役割を考えないといけないでしょう。

市場としての本体が豊洲に移転した後、そもそも残された土地に本体の市場としての残像が残り得るのでしょうか。結局は歴史的記憶として歴史の教科書の一角に、人々の心に残ってゆくのが、機能都市としての運命なのではないでしょうか。市場移転後の築地の姿は全く新しいものにかわらなければならないのではないでしょうか。

まとめ

豊洲移転後の築地について、築地ブランドという言葉にひっかかりを覚えました。豊洲市場移転で築地にブランド力は残るのか?と、移転後の姿は考察してみました。

「豊洲市場移転で築地にブランド力は残るのか?移転後の姿は?」として纏めてみましたが、最後までお読み下さり、ありがとうございました。

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