梅原猛さん告別式や追悼番組は?経歴や特別番組の放送は?

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梅原猛さんがご逝去されたとのニュースが飛び込んできました。

以前、テレビでご自分が癌であり命が限られている事をお話されているのを聞いたことがあり、悲しい思いでいましたが、ついに亡くなられたかと、巨星が消えてしまった寂しさを感じます。

心からご冥福をお祈りいたします。

梅原猛さんは、哲学者。

しかし学問の枠を超えて知的な好奇心の枠を広げ、古代史に大胆な仮説をたてられ、梅原古代学とか梅原日本学と言われました。

梅原さんのたてられる仮説は実に面白く、特に法隆寺は聖徳太子の怨霊を封じ込めたお寺だという「隠された十字架」など、もう仮説の論証がミステリーの世界のように面白く、夢中になってむさぼり読みました。

梅原猛さんの思考は、哲学から古代史、仏教から、歌舞伎の創作にいたるまで自由に飛び回り、残した足跡の範囲は驚くべきものです。

1つの時代が過去のものになったような、平成のギリギリで一人の巨人が世を去り寂しい思いがします。

「梅原猛さん告別式や追悼番組は?経歴や特別番組の放送は?」として愛との思いを込めて纏めてゆきたいと思います。

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梅原猛さんご逝去について

告別式や追悼番組

梅原猛さんは1月12日午後4時35分、肺炎のため京都市内の自宅で93歳で亡くなりました。

告別式の日程を確認しましたが、葬儀・告別式は親族のみで営まれるそうです。

お別れの会は別途開かれるようですが現時点ではわかりません。

連絡先は国際日本文化研究センター=電075(335)2222。

NHKで梅原猛さんを偲んだ追悼番組が必ず組まれることと思いますが耳に入り次第追記してゆきたいと思います。

 

梅原猛さんの経歴

梅原猛さんは 1925年3月20日に宮城県仙台市で生まれ、愛知県知多郡で育っていらっしゃいます。

私立東海中学に、実家から2時間半をかけて通学。

1942年に、広島高等師範学校に入学しますが二ヶ月で退学、当時トヨタ自動車の重役をつとめていた父や周囲から文科進学に反対されるのを押し切り翌年第八高等学校文科に入学されました。

青年期には西田幾多郎・田辺元の哲学に惹かれ、既に西田幾多郎は退官していましたが、西田幾多郎ら京都学派の影響が残っているであろう京都帝国大学文学部哲学科へ、1945年に入学されています。

お父様しぶしぶ了承。

梅原さんは入学直後徴兵されています。

1948年、同大を卒業され大学院に。

大学院では田中美知太郎さんに師事されています。ハイデッガー哲学に惹かれつつギリシア哲学を専攻しますが、しかし二度も田中美知太郎と対立しています。

最初の論文「闇のパトス」は、哲学論文の体裁をとっていないと不評でした。

しかしのち、著作集第一巻の表題となります。

20代後半は、強い虚無感に襲われて、賭博にのめりこむような破滅的な日々だったそうです。

1951年に、養母の勧めでピアニストの夫人と結婚され、同年、長女が生まれ後、ヴァイオリニストになっています。

30代後半から日本の古典美学への関心を強めてゆかれます。

又、そしてハイデッガーの虚無思想を乗り越えるべく「笑い」の研究を行い、寄席に通ったり、当時喜劇役者として大人気の藤山寛美や、大村崑などを研究の対象とされています。

梅原さんは次第に西洋哲学から、日本人の精神性を基盤にした思考に進まれ、西洋哲学とは一線を画すようになり、独自の梅原日本学へ進んでゆかれます。

梅原さんの活動は多岐に渡り、市川猿之助のために『ヤマトタケル』や『オオクニヌシ』『オグリ』などの歌舞伎台本を書かれています。

近代歌舞伎の殻を破っている事から、スーパー歌舞伎と呼ばれます。

さらには、古代メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』を戯曲化した『ギルガメシュ』を中国の劇団が上演しています。

学者の枠を超えて、創作者としても多くの作品を遺されているのは驚きますね。

多くの方が先生のご逝去を悲しんでいらっしゃいます。

テレビで、日本の歴史を本当に楽しそうに語っていらっしゃる笑顔の梅原猛先生の姿が思い出されます。

梅原先生の著作

先生の著作は膨大でご紹介しきれないので、私の少ない読書歴の中から読んできた本、読もうとしていた本をあげさせていただきました。

『地獄の思想』
『笑いの構造』
『隠された十字架 法隆寺論』
『水底の歌 柿本人麿論』
『黄泉の王 私見・高松塚』
『海人と天皇』

思うままにシリーズ
『世界と人間――思うままに』
『自然と人生――思うままに』
『癒しとルサンチマン――思うままに 』
『亀とムツゴロウ――思うままに』
『シギと法然――思うままに』
『宗教と道徳――思うままに』
『戦争と仏教――思うままに』
『神と怨霊――思うままに』
『親鸞と世阿弥――思うままに』
『老耄と哲学――思うままに』

『心の危機を救え――日本の教育が教えないもの』

梅原猛の授業シリーズ
『梅原猛の授業――仏教』
『梅原猛の授業――道徳』
『梅原猛の授業――仏になろう』
『梅原猛の授業――能を観る』

『梅原猛の仏教の授業――法然・親鸞・一遍』

梅原先生のおもな職歴

1967年  立命館大学文学部教授。
1974年  京都市立芸術大学学長。
1986年  国際日本文化研究センター創設準備室長。
1987年  国際日本文化研究センター初代所長。
1997年  日本ペンクラブ会長。
1997年  MIHO MUSEUM初代館長。
2001年  ものつくり大学初代総長。
2011年  東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)

数多くの著作を残され、数多くの業績を残され、多方面にわたる職歴。

ご高齢になっても全く年齢を感じさせない精力的なお姿に、驚嘆していました。

 

まとめ

哲学者の梅原猛さんが亡くなられたとのニュースが入り、大変ショックです。

葬儀・告別式は親族のみで営まれるそうです。

お別れの会は別途開かれるようですが現時点ではわかりません。

追悼番組は必ず放送されるかと思いますので、耳に入り次第追記します。

梅原先生の経歴を見ると、いかにエネルギッシュに生ききられたのかがわかります。

本当に悲しいです。

「梅原猛さん告別式や追悼番組は?経歴や特別番組の放送は?」として纏めましたがいかがでしたでしょうか。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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