こんにちは、ツクです!
朝ドラ「なつぞら」の、十勝で絵を描いている天陽君のモデルはどうやら、画家の神田日勝だと言われていますね。
「なつぞら」で描かれる生き生きと自らの人生を生きていく若者達は、とても勇気を与えてくれますね。
それぞれの仲間達がそれぞれの夢を追い、未来を切り開いていく姿にとても心を動かされます。
絵の才能を持ちながら、十勝を離れず農作業の傍ら、好きな絵を、芸術作品を作り続ける天陽君もまたカッコいいですね。
十勝に残り、農作業をしながら、彼がキャンバスとしているベニヤ板に、創作エネルギーの全てを注ぎ込んでいる姿がいいですね。
天陽君のモデルとなっている神田日勝の絵は、何年か前にNHKの日曜美術館で紹介されていましたが、彼の遺作となった、書きかけの馬の絵が印象的で忘れられません。
神田日勝といえばこの絵が先ず思い浮かびます。
「神田日勝の未完の馬の遺作が感動的!天陽君のモデルの経歴と作品を!」と題して神田日勝についてまとめてみたいと思います。
それでは進めて参りましょう!
神田日勝の未完の馬の遺作が感動的!
十勝で絵を描き続けた神田日勝の絶筆となった未完の絵は、彼がよくテーマに描いていた馬の絵です。
半分しか描けていないのです。
彼が暮らした鹿追町には神田日勝記念日美術館があり、わずか10年余りだった彼の画家人生のほとんどの作品が収められており、馬の絵はここに遺されています。
本日の鹿追は最高気温17度。
春だなぁ~、とようやく言えるかな・・・?もうすぐGW。
10連休(4/27~5/6)の期間中は休まず開館しますので、ぜひ日勝さんに会いに来てくださいね!#神田日勝 #鹿追 #なつぞら pic.twitter.com/wtEK8C2LL7— 神田日勝記念美術館 (@kandanissho) April 14, 2019
最後の作品は「馬(絶筆)」ベニヤ板の上に馬が息づいています。
馬の毛並みもリアルに。
しかしその体は胴体で断ち切られ、下書きが残っています。
その作品はツイッターに投稿されていました。
戦後北海道の開拓民として苦労した、神田日勝さんの「馬 (絶筆)」。哀しみで立ちすくんでしまいました。とにかく、心打たれる。 北海道鹿追町 神田日勝記念美術館。 pic.twitter.com/XflTpTRFSO
— はな (@lovematejunko) May 18, 2013
一見したところ、馬の体は真っ黒に見えますが、青や黄などの色が丁寧に塗り重ねられています。
リアルな馬の絵が、断ち切られた先は想像力に託されます。
ミロのビーナスのように。
天陽君のモデル神田日勝の経歴
生まれと十勝への移住
神田日勝はまさに「なつぞら」で描かれている通り、戦争によって家を焼かれて十勝に移り住みます。
もともと東京で暮らしていました。
練馬で1937年12月8日に生まれています。
日勝という名前は、日中戦争で勝利を願った父親がつけたのだそうです。
しかし東京の空襲を逃れて、北海道にやってきたのは8歳の時でした。
国の拓北農兵隊に応募したのでした。
拓北農兵隊とは食糧増産と疎開を兼ねたものでした。
絵を描く
神田日勝が油絵を始めたのは、お兄さん一明の影響で油絵を描くようになります。
1950年(昭和25年)に鹿追中学校に入学して、美術部を創設しています。
兄は、東京芸術大学へ進学します。
そして弟は兄に変わって農業を継ぎました。
絵の上手い少年として有名で、鹿追町では日勝少年に絵を描いてと迫っては快く障子紙などにささっと絵を描いてくれた、と幼馴染だった方は語っています。
農作業と言う大変な生活の中で、彼は絵を描きました。
彼はしばしば馬を描いていますが、決して駿馬ではありません。
競馬に登場するようなすらりとした名馬ではなく、ばんえい競馬に出てくるような農作業で力をつけたようなずんぐりとした生活感のあふれる馬を描いています。
あるいは、馬が日勝自身の姿を写し込んだものだったのかもしれません。
生活に欠かせないパートナーである馬を、苦楽を共にしている馬を自らの肖像画のように描いているのではないでしょうか。
神田日勝の写真です。
【深掘りレポート Vol.11 神田日勝 1/5】
NHK #朝ドラ「#なつぞら」で #広瀬すず さん演じる主人公“#なつ”に絵心を教える #吉沢亮 さん演じる“#山田天陽”。そのモチーフと言われる #画家 が #十勝 にいます。振興局なっちゃん隊が調べてみました。 pic.twitter.com/qQgnXgylx0— 十勝総合振興局のなっちゃん隊 (@tokachi_natchan) May 13, 2019
新しい芸術への試み
短い日勝の人生ですが、画風は変化を見せています。
60年代頃前衛芸術の波が押し寄せ、芸術家たちと熱い芸術談義を戦わせ、新しい芸術論を読み漁りました。
奥さんが思い出を語っています。
ある日自宅に帰った時、我が家が近づいてくると200メートルもの先から、2階が赤く見え、大急ぎで帰ってみると、畑仕事もさぼってベニヤ板に喜びにあふれたような色彩の色で「晴れた日の風景」と言う絵が遺されています。
晩年に書かれた代表作「室内風景」が印象的です。
何か絶望感とともに人間の本質をえぐりとろうとする姿勢がうかがえます。
大好きな絵。
聞こえてくる音は 柱時計の秒針と、ぼやけたフォーカスで聴こえるか聴こえないかくらい微かに 瓦斯コンロの上のヤカンで沸いている湯。神田日勝 室内風景 pic.twitter.com/qIVoVvg3R2
— 東京ゴリラ物語 (@SachimoSima) March 21, 2019
この絵を仕上げて神田日勝は敗血症で入院後、亡くなってしまいました。32歳でした。
そして、「室内風景」よりも先に描き始められていたのが、原点回帰のような馬の絵の絶筆でした。
絶筆の絵には、短い人生を絵とともに戦い続けている神田日勝の燃えるような気迫を感じ、貧しい中で創作し続けた彼の戦いの人生に心を動かされます。
まとめ
神田日勝の未完の馬の遺作は、まるで未完であることが絵を活かしているような迫力を感じさせられます。
「なつぞら」の天陽君のモデル神田日勝は短い人生を、農作業を行いつつも芸術と戦い続け壮絶に生きた証が未完の馬から感じられます。
この絵は、北海道鹿追町の神田日勝記念美術館で見ることが出来ます。
「神田日勝の未完の馬の遺作が感動的!天陽君のモデルの経歴と作品を!」と題してまとめてみましたがいかがでしたでしょうか。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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