こんにちは、ツクです!
大河ドラマ「いだてん」の第二部が熱いですね!
女子選手の活躍にスポットがあたり、ドラマの彩りがたちまちあざやかになってきました。
女子オリンピック選出といえば、やっぱり一番に思い浮かぶのは前畑秀子さんですね。
中継するアナウンサーの興奮した「前畑頑張れ!」の声は一度は聞いたことがあることでしょう!
「前畑秀子の経歴と晩年は?いだてんで演じるのは誰でいつ登場する?」と題して迫ってみたいと思います!
それでは進めて参りましょう!
前畑秀子の経歴と晩年は?
女子水泳の魁といえば、前畑秀子さんですよね。
1932年(昭和7年)の第10回大会ロサンゼルスオリンピックの200m平泳ぎに出場し、銀メダル。
そして、1936年(昭和11年)にドイツで開かれたベルリンオリンピックの200m平泳ぎで、1秒差で金メダルを獲得しました。
初めてメダルを獲得するという事がいかに大変な事か、「いだてん」の中で人見絹江選手の銀メダル獲得場面で表現されていましたね。
前畑秀子の経歴
1914年(大正3年)に和歌山県伊都郡橋本町で豆腐屋の家に生まれました。
和歌山の川といえば有名な紀の川が海に注いでいます。
この紀ノ川で前畑秀子は泳ぎを覚えました。
飛びぬけた運動神経の持ち主は、尋常小学校5年生で女子50m平泳ぎの学童新記録を出します。
等小学校2年生の時には汎太平洋女子オリンピックに出場します。
そして、100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎで準優勝したのです!
本来ならば、高等小学校を卒業後、家業の豆腐屋を手伝うはずでした。
しかし、前畑の水泳の才能をさらに伸ばすため、関係者が両親を説得して、名古屋の椙山女学校に編入して水泳を続けることになったのです。
椙山女学校は前畑を全面バックアップしますが、1931年(昭和6年)1月に母が、6月には父が脳溢血で相次いで亡くなるという不幸を経験します。
その不幸を乗り越えて、1932年の第10回大会ロサンゼルスオリンピック200m平泳ぎで銀メダルを、1936年にドイツで開かれたベルリンオリンピックの200m平泳ぎで金メダルを獲得するという快挙を成し遂げます。
この時のラジオ中継が歴史に残る名実況として残ることになりました。
NHKの河西三省アナウンサーは、興奮のあまり「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と連呼し、20回以上も絶叫、聴衆を熱狂させ、現在でも語り継がれています。
前畑秀子は名古屋医科大学助手の兵藤正彦と結婚をし兵藤秀子となります。
引退後は椙山女学園職員として後進の育成に努めます。
さらには、ママさん水泳教室を開くなど一般への普及にも貢献しています。
1983年(昭和58年)に脳溢血で倒れますがリハビリによって再びプールに。
1995年(平成7年)2月24日、急性腎不全のため80歳の生涯を閉じています。
晩年になっても水泳の普及に努めています。
のちに日本人女性初の金メダリストとなる #前畑秀子 は、7歳年上の #人見絹枝 の挑戦をラジオや新聞で応援していたそう。絹枝が銀メダルに輝いたことを自分のことのように喜び、泳ぎの練習にいっそう励んだエピソードが残されています。#いだてん pic.twitter.com/IIHaxOsYxQ
— 大河ドラマ「いだてん」 (@nhk_td_idaten) 2019年7月7日
いだてんで演じるのは誰でいつ登場する?
いだてんで前畑秀子を演じるのはだれでしようか?
実はのんがキャスティングされるのではないかという噂がたっていましたが、実際にキャスティングされたのは上白石萌歌さんです。
次回は前畑秀子役の上白石萌歌さんね、脚が長くて綺麗。トレーニングして7㎏増量したと聞くけど引き締まった良い体型。
水泳選手というとどうしても #3A の景山澪奈役と被るなぁ。#いだてん pic.twitter.com/9AtaiSyQIl— マルマルコ (@marukodorama) 2019年7月7日
大河ドラマ「いだてん」での前畑秀子の登場はいよいよ7月14日(日)となります。
田畑が悲願の神宮プールを完成して、こけら落としとなった大会で田畑は前畑秀子と運命の出会いを果たす事になるのです。
まとめ
前畑秀子は、若い頃より運動神経あり和歌山の紀の川で泳いでいました。
椙山女学校が前畑を全面バックアップし、ご両親が亡くなった後も精進してついにはオリンピックで金メダルを獲得することになります。
選手引退後も80歳でこの世を去る晩年まで素家の普及につとめていらっしゃいました。
大河ドラマ「いだてん」では上白石萌歌さんが演じられます。
7月14日(日)より登場です!
「前畑秀子の経歴と晩年は?いだてんで演じるのは誰でいつ登場する?」と題してまとめてみましたが如何でしたでしょうか?
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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