バレンタインデーが近づいてきましたが、日本のバレンタインデーって実は日本独特のものなのです。
そもそもチョコレートを女性から男性に送るという事自体、日本独自のもの。
バレンタインデーを迎える前に、そもそもバレンタインって何だろう、とちょっと突っ込んで調べてみたいと思いました。
バレンタインの起源や、日本でどんなふうにバレンタインが広まっていったのか、どうして日本独自の広まり方をしたのか気になりますよね。
またチョコレートの起源について、どんなふうに広まっていったのかも調べてみました。
まずは知識を詰め込んでから。。
「バレンタインデーの起源・日本での普及やチョコレートの歴史も」として纏めてみましたのでご参考にしてください。
目次【本記事の内容】
- 1.バレンタインデーの起源
- 1-1.聖ウァレンティヌスの伝説
- 1-2.ローマの祭り
- 2.日本での流行
- 2-1.流行するまで
- 2-2.どうしてチョコレート?
- 2-3.小学生高学年から高校生が広める
- 2-4.いろんな形が生まれる
- 2-5.さらに多様化へ
- 2-6.バレンタインデーのチョコレート消費量は
- 2-7.チョコレートを贈るのは日本だけ?
- 3.バレンタインデーから派生した変わり種
- 3-1.日本
- 3-1-1.オレンジデ―
- 3-1-2.メイストームデー
- 3-1-3.メンズバレンタインデー
- 3-2.韓国
- 3-2-1.ブラックデー
- 4.チョコレートの歴史
- 4-1.ヨーロッパ人とカカオの出会い
- 4-2.ヨーロッパへ
- 4-3.チョコレートへ
- 4-4.日本へ伝わったのはいつ
- 5.まとめ
バレンタインデーの起源
聖ウァレンティヌスの伝説
バレンタインデーのバレンタインとは、キリスト教の聖人であることはよく知られていますよね。
聖バレンタインデー。
269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスにちなんだものです。
ではこの、聖ウァレンティヌスはどんな事績を遺したのでしょう。どうして殉教したのでしょう。
皇帝クラディウスのキリスト教迫害下で殉教されたという事らしいのですがどうやら詳しい事はわかっていないようです。
聖ウァレンティヌスが恋人たちの聖人となったのは以下の伝説によるようです。
- ローマ皇帝クラウディウス2世が士気低下をおそれて兵士たちの結婚を禁止したのです。しかしウァレンティヌスはこの禁令に背き恋人たちの結婚式を執り行い捕らえられて殉教することになった。
- 結婚したばかりのカップルに自分の庭から摘んできたばかりの花を贈った。
- 投獄されていた時、看守の召使の娘は目が見えず、監獄のウァレンティヌスを訪れては説教を聞いていたところ、ある日突然目が見えるようになったとか。この奇跡を目にして家族がキリスト教に転向したため、怒った皇帝により殉教することになったとか。
ローマの祭り
起源はローマにさかのぼるともいわれています。
ローマでは2月14日は女神・ユーノーの祝日でした。
ユーノーとはローマ神話で結婚や出産を司る女神で、家庭と結婚の神。
翌2月15日から、ルペルカリア祭というお祭りが始まります。
当時若い男たちと女たちは生活が別だったそうです。
祭りの前日、女性たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れるます。
翌日、男たちは桶から札を1枚ひき、札の名の女性は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていたのです。
そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ちて、結婚したそうです。
ローマ市民の男性は長い兵役義務がありましたので、大切な少子化対策だったのではないでしょうか。
日本での流行
流行するまで
バレンタインデーはヨーロッパからアメリカを経由して日本に入ってきました。
日本では1958年頃から流行したようです。
1958年(昭和33年)というのは東京タワーが出来た年、そして朝の連続テレビ小説「ふくちゃん」のモデルとなった安藤百福さんが世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売した年です。
日本が大分豊かになった時代ですね。
とはいっても、まださほど普及はしませんでした。
「女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日」として定着したのは1970年代後半です。
どうしてチョコレート?
昭和11年に、神戸のモロゾフ製菓がが日本で最初にバレンタインデーの広告を出したのが最初です。
外国人向けの英字新聞に「「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーだったようです。
昭和33年にメリーチョコレートがバレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと、新宿の伊勢丹デパートで “バレンタインには女性から男性へチョコレートを贈りましょう” というキャンペーンを行ったのでした。
これが日本独特の、女性から男性へ贈る起源となったのです。
なぜ女性からだったのか。
それは、デパートで買い物をするのは圧倒的に女性だったからです。
又、女性がもっと意見を言おうというウーマンリブ運動の頃。
恋愛でも女性からという空気を生む背景もあったのです。
その後さまざまなデパートや企業の販売戦略があたり、また日本も成熟した消費社会に入り、定着していったのです。
小学生高学年から高校生が広める
最初は小学校高学年から高校生までの学生層から広まりました。
そして1980年代後半頃になると主婦層にも普及し、夫や父親、義父に贈るようになりました。
バリエーションが広がる
その後、日本独自にバリエーションも広がってゆきました。
本命チョコが定着すると、今度はホワイトデーや義理チョコが登場します。
1977年に福岡県の和菓子屋・石村萬盛堂が、バレンタインデーのお返しとしてマシュマロデーをはじめたのです。
のち、他のお菓子屋さんと共同で、「ホワイトデー」という名称を使うようになったようです。
お菓子業界で、キャンペーンをはろうと総力をあげて、1980年に第1回「愛にこたえるホワイトデー」キャンペーンが行われました。
そして1981年には「好きな女の子にキャンデーを贈ろう」というキャッチフレーズが添えられました。
1984年の第5回キャンペーンでは各地で品不足になるほどの盛況となったのです。
お菓子業界では1984年をホワイトデー定着の年としているそうです。
さらに多様化へ
2000年を過ぎると、どんどん多様化してゆきます。
すでに交際中の恋人や、結婚している夫妻、子供同士でも行われるようになります。
一方で「義理チョコ」は1990年代から次第に衰退し、その傾向は続いているようです。
女性が女性へチョコレートを贈る「友チョコ」が次第に広がりを見せています。
男性が女性にチョコレートを贈る「逆チョコ」というパターンも生まれました。
自らのために買い求める「自分チョコ」も増えてきています。
最近は、男性が男友達に送り合う「強敵(とも)チョコ」というのも増えてきています。
バレンタインデーのチョコレート消費量
驚くなかれ、バレンタインデーは何と、年間の2割程度が消費されるそうです。
恐るべし、日本のお菓子業界のバレンタイン戦略ですね。
チョコレートを贈るのは日本だけ?
チョコレートに限定して贈るのは日本のみで、海外では様々な物が贈られます。
又、女性から男性の一方向ではなく、双方向でプレゼントします。
ですので男性からのお返しをする「ホワイトデー」は存在しません。
バレンタインデーから派生した変わり種
日本
オレンジデ―
は柑橘類生産農家が4月14日をオレンジデートして、恋人同士でオレンジを送りあう日として提案していますが、あまり浸透していないようです。
メイストームデー
バレンタインデーから88日後の5月13日をメイストームデーと呼んで、別れ話を切り出すのに最適な日としていますが、浸透していないようです。88日とは「八十八夜の別れ霜」ということわざからきているようです。
メンズバレンタインデー
9月14日に男性から女性に下着をプレゼントして愛を告白するというものです。日本ボディファッション協会が制定したようですが、さすがに普及はしなかったようですね。
韓国
ブラックデー
4月14日に、バレンタインデーやホワイトデーで贈り物をもらえず、恋愛とは無縁に終わった男女が集まり、炸醤麺やブラックコーヒーを飲むそうです。
チョコレートの歴史
ヨーロッパ人とカカオの出会い
チョコレートはいつから食べるようになったのでしょうか。
初めてヨーロッパの人がカカオと出会ったのは大航海時代、南米に渡った人々でした。
当時アステカ帝国ではカカオはお金としての価値を持っていました。
又、王の精力剤として純金のコップに入れて飲んでいる様子が報告されています。
カカオは高貴な人や戦士の為の飲み物でした。豆を乾燥させて炒り、練り粉にして、トウモロコシの粉とか唐辛子を入れて飲んでいました。
ヨーロッパへ
このココアを恋の媚薬としてスペインへ持ち帰ったのです。
チョコレートと恋、ヨーロッパへ入った当時から結びついていたんですね。
ちなみにヨーロッパではチョコレートのCMは、セクシーな男女がダンスをしたりと、アダルトムードのものが多いらしいのですが、こんな歴史からアダルトなイメージがあるんですね。
17世紀にはイタリア・オランダ・フランス・イギリスにも伝わります。
当時はまだ健康飲料とも、恋の媚薬ともいわれる神秘的な飲み物で、庶民には手の届かないものでした。
チョコレートへ
1800年代に入って現代のチョコに通じる4つの大きな発明がありました。
1828年には、オランダのヴァン・ホーテンがココアバターの抽出に成功し、ココアが出来ました。
イギリスのフライがカカオ豆をすりつぶし、砂糖を混ぜて板チョコを作りました。
1876年にスイスのダニエル・ピーターがそれまで相性の悪かったミルクと、ミルクチョコレートを作るのに成功します。
1880年にスイスのルドルフ・リンツがコンチと呼ばれる機械で舌触りの良いチョコレートを作りました。
今のチョコレートが生まれました。
日本へ伝わったのは?
日本でチョコレートが初めて製造されたのは1877年(明治10年)頃。両国の米津風月堂というお店で作られました。
1899年に森永商店が、1913年に不二家が、1918年に明治製菓が販売し広まっていきます。
第二次世界大戦で一時生産が止まったものの、1950年(昭和25年)頃には再開されました。
まとめ
もうすぐバレンタインデーをむかえますが、まずはバレンタインデーについて知りたいと思い、バレンタインデーの起源にさかのぼり、いかに日本に伝わってきたのか、日本でどのようにバレンタインデーが普及していったのか、そしてチョコレート自体の歴史も調べてみました。
「バレンタインデーの起源・日本での普及やチョコレートの歴史も」として纏めてみましたがいかがでしたでしょうか。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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