もうすぐ節分ですね。
節分には独特な風習、特に食べ物に関する風習がありますよね。
行事を楽しみながら何でだろう?と心の片隅で思っていました。
どうして恵方巻を食べるんだろう?
どうしてイワシを食べるんだろう?
地方によってどんなものを食べているんだろう?
そんな知識を知っていれば、もっと節分の楽しみも広がるんではないでしょうか。
そういうわけで、「節分の食べ物や料理は?関東で恵方巻はなぜ?いわしはなぜ食べる?」と題し節分の食べ物に関する由来を調べてみました。
宜しければご参考にして頂き、節分の楽しみが広がれば幸いです。
目次【本記事の内容】
- 1.節分について
- 1-1.節分とはどういう日なんでしょう
- 1-2.季節の変わり目は邪気が生じる
- 2.節分の食べ物や料理は
- 2-1.いわし
- 2-2.豆(福豆)
- 2-3.麦飯
- 2-4.蕎麦
- 2-5.ナマコ
- 2-6.蒟蒻
- 2-7.恵方巻
- 3.恵方巻についてちょっと詳しく
- 3-1.恵方とは何?
- 3-2.十干とはは陰陽五行説から
- 3-3.恵方巻の起源
- 3-3.なぜ全国的に広まったの
- 4.まとめ
節分について
節分とはどういう日なんでしょう
まず最初に、そもそも節分ってどういう日なんでしょう。
節とは”ふし”を表しますよね。節分は季節の”ふし”、つまり季節の始まりの日の前日のことなんです。
季節の始まりとは、立春・立夏・立秋・立冬の四つあり、実は節分って四つあるんです。
江戸時代以降、特に毎年2月4日頃の立春の前の日を表すようになりました。
季節の変わり目は邪気が生じる
昔より季節の変わり目には邪気が生じると信じられてきました。
邪気とは鬼のことです。
この邪気を払う行事が昔から宮中の年中行事として執り行われていたのです。
宮中では、中国から年末の行事、追儺(ついな)が伝えられました。
これは鬼を払いの行事で、節分の原点となったのです。
そして次第に庶民の間にも広まっていったんです。
節分の行事とは、つまり厄払いの行事なのです。
節分は厄払いの行事ですから、その日に食べるものも厄払いの意味が込められています。
節分の食べ物や料理は
いわし
地方によって異なるかもしれませんが、節分と言えば ”いわし” が頭に浮かびます。
その昔、節分の日が暮れようとする頃、柊鰯(ひいらぎいわし)といって、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立てておきました。
鬼は、腐りやすい「いわし」の臭いが苦手で、柊の葉もトゲがあって苦手。
それで、鬼を退散させる為に玄関のいわしの頭を戸口に立てておいたのです。
又、いわしを焼いた煙で鬼を追い払い、”節分いわし” を食べるのです。
”いわし” はどうやら食べるのが主だったり、立てておくのが主だったり、地方色がある様子。
食べるのは関西が多く、たてておくのは関東が多いようです。
食べる習慣もどうやらなくなりつつあるようですね。
その他の節分の食べ物を見てゆきましょう。
豆(福豆)
よく豆まきをしたあと、自分の年の数だけ食べるとよい事がある、と拾って食べた思い出があります。
この豆は、最近お店で豆まき用に売っているものを買いますが、もともと大豆を炒って福豆としていました。
「炒り豆の花が咲く」ということわざをご存知でしょうか。一度衰えていたものが再び勢い盛り返す、ありえない事が起こることをあらわしています。
厄払いに用いた豆から芽が出る事は縁起が悪いとされ、芽が出ないようにしっかりと炒り、豆まきが終わったら食べたのです。
麦飯
上方落語の「厄払い」に、どこの家でも、いわしと一緒に麦飯を食べているというくだりがあります。
又江戸時代の記録にも、いわしと麦飯を食べたと書かれており、節分には欠かせない食べ物だったようです。
鯨料理
山口県や、長崎県、島根県、大阪や青森などクジラを食べるところも多いようです。
特に山口県では有名で「大きいものを食べるのは縁起がいい」ということからきているようです。
下関市には、「尾羽毛(おばいけ)」という鯨の中でも最高級な部分を刺身にした郷土料理があり、節分の日に食べれば一年健康に暮らせると言われているそうです。
蕎麦
節分に食べる蕎麦は、現代では「節分蕎麦」といいますが、江戸時代は「年越し蕎麦」といい、大晦日に食べる蕎麦は「晦日そば」と呼ばれていました。
かつては立春が年越しと考えられていたもので、明治に改暦されると、12月31日が年越しとされ、年越し蕎麦も12月31日に食べる蕎麦をさすようになったのです。
蕎麦は長く、長生きに通じると考えられたり、金細工師が金の残りを蕎麦を練った状態の団子で金をあつめたことから金に通ずると考えられたとか色々節があるようです。
ナマコ
島根県隠岐では「砂おろし」とよぶ、ナマコを酢の物にしたものを食べます。砂おろしというのはナマコは砂とともに養分を吸収し、砂だけを排出する機能があることから、体の中から老廃物をとるという意味に通じています。
蒟蒻
ナマコとよく似ていますが、「腸の砂おろし」といって、体内にたまった砂を出すとされています。
島根県では生こんにゃくを酢味噌和えにして食べるそうです。
恵方巻
節分にその年の福徳を司る歳徳神(としとくじん、とんどさん)のいらっしゃる方角を恵方といいます。
恵方を向かい、お願いごとをしながら、太巻き寿司を黙って丸かぶりすると縁起が良いとされます。関西では「丸かぶり寿司」とも呼ばれるそうです。2019年の恵方は甲・己。東北東やや東で方位角は75°になります
恵方巻についてはちょっと詳しく述べたいと思います。
恵方巻についてちょっと詳しく
恵方とは何?
先ほど恵方巻について簡単に説明しましたが、最近は豆まきよりも恵方巻の方が人気があるんじゃないかと思われるほどです。
昨年の過剰生産と売れ残りが問題となり、今年も農林水産省から警告が出されたほど。
まずはその恵方巻についてちょっと詳しく説明しますね。
先ほど、恵方に向かって太巻き寿司を丸かじりすると書きましたが、歳徳神のいらっしゃる恵方は毎年異なります。
その年の十干によります。
今年はイノシシ年ですよね。これは十二支のひとつで、その他に十干(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)というものがあります。十干十二支といいますよね。
十干十二支でこの12進法と10進法の組み合わせで年を表します。因みに2019年は「己亥」(つちのとい)です。
余談になりますが、この組み合わせを網羅するのに60年。
60歳を何というでしょう?そう還暦ですよね。一巡りするわけです。
赤いちゃんちゃんこを着るのは、一巡りして赤ちゃんに還ることを表しているようです。
十干とはは陰陽五行説から
十干は陰陽五行説からきています。
ちょっとここで陰陽五行説を説明しますね。
古代の中国では、自然界のあらゆるものを陰と陽の二つにわけました。
太陽は陽で月は陰、奇数が陽で偶数が陰、表が陽で裏が陰という具合に。
これを陰陽思想と言います。
陰陽思想は五行思想と結びつき陰陽五行となりました。
五行の思想は自然界は木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)の5つの要素で成り立っており、行とはこの5つが循環していると説明するのです。
この五つには相性の良い悪いがあって、それによって吉凶が占われます。
五行は生活上の様々な物をあらわします。季節だったり、体であったり、五感であったり、方角であったり。
そう、ようやくでてきました。方角を表しているのが十干なんです。
歳徳神のいらっしゃる方角を十干であらわしているのです。
因みに十干って現在の生活の中でもいろんなところに出てくるんですよ。甲と乙など、契約書など様々なところで使われますよね。
又、陰陽五行は宮崎駿監督の映画でも使われているのではともいわれています。宮崎監督は宮沢賢治が好きで宮沢賢治は五行思想に基づいたと思われる小説がありちょっと興味深いところです。
すみません、恵方を説明するのに時間を取りました。続いて恵方巻の起源についてです。
恵方巻の起源
恵方巻は大阪発祥と言われていますが、いつ生まれたのかはっきりとはわかっていないようです。
しかし海苔巻き自体生まれたのが新しい事、江戸時代中期に初めて文献上海苔巻きらしいものがでてくるのでので、そう古くないと思われます。
起源説は様々です。
若い女性が好きな人と一緒になりたいという願望をかなえる為/色街で女性丸かじりして願い事をしたらかなった/節分は香の物が漬かる頃で、香の物の巻き寿司を切らずに恵方を向いて食べた/戦国時代の武将が節分の日に丸かぶりして出陣したら戦に勝った
1900年代半ばでも、大阪でも知らない人がいたほど限定的に行われていたようです。
老舗の料理屋さんですら知らなかったくらいです。
花柳界の女性あたりで限定的に流行っていた事なんでしょうか。
1932年から、大阪鮓商組合が販売促進の目的で、節分の日に丸かぶりの広告チラシを配布するようになってきました。
しかしまだ大阪でも限定的なもの。
尚、現在の海苔巻きの原点は1955年頃、元祖たこ昌の山路昌彦さんが、海苔販売の促進活動の一環として恵方巻を考案したものだそうです。
定着したのはどうやら1970年代になってマスメディアにとりあげられてからのようです。
なぜ全国的に広まったの?
昔は、節分になると関西の独特な風習として、恵方巻が紹介されていました。
必ずといっていいほど節分にはとりあげられ、変わった風習があるなあとおもっていたら、いつのまにか節分に巻きずしが売られるように。
今や全国的に恵方巻が広まっています。
いったいどこから、全国区になったんでしょうか?
どうやら原点になったのは、発祥の地大阪ではなく、広島のセブンイレブンだったとか。
セブンイレブン広島市中区舟入店。ココです。
仕掛け人は、野田靜眞さん。
今は本社の役員をやってるそうですが、当時は広島市にある加盟店7~8店舗を担当するOFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー)だったのです。
加盟店オーナーとの会話で大阪には節分に恵方巻を食べる風習があると知り、仕掛けてみようということになったのだそうです。
確かに、初めてここ東京で初めて恵方巻を目にしたのはセブンイレブンだったか記憶は定かではありませんが、コンビニでした。
しかしさすがですね。これだけの爆発を生み出したのですから。
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まとめ
ここまで、節分の食べ物にや料理についてまとめてきました。
そもそも節分とは厄払いが根本にあって、そのための食べ物や料理が節分に食べられるようになったものであることがわかりました。
今は少なくなったようですが、節分と言えばいわし、というようにあたまのなかで連想されるものでしたが、それは鬼が嫌いだからということで魔除けの為に食べた事がわかりました。
又、様々な食べ物のうち、最近全国的になぜか恵方巻ばかりが注目され加熱しているようですが、何故広まったのか、それはセブンイレブンの商品販売戦略だったんですね。
まもなく節分がやってきます。
今年も楽しく節分をすごして、一年の無事を祈り厄落としをしてくださいね。
「節分の食べ物や料理は?関東で恵方巻はなぜ?いわしはなぜ食べる?」としてまとめてみましたがいかがでしたでしょうか?
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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