市川海老蔵さんと長男の勸玄君の襲名が発表されましたね。
海老蔵さん大名跡市川團十郎を襲名し十三代目市川團十郎白猿として、勸玄君がかつて海老蔵さんも名乗っていた伝統ある市川新之助を襲名します。
襲名の口上が行われましたが、あの小さかった勸玄君が見事に新之助を襲名すると、見事に口上を行いましたね。
海老蔵さんの奥様、真央さんが生きていらしたら、きっと涙を流されたことでしょうね。
きっと海老蔵さんと勸玄君の姿を、天国からやってきて客席のどこかで見ていたのではないでしょうか。
そしてそっと目を拭っていたのではないでしょうか。
「市川團十郎白猿襲名|白猿の意味や大名跡の歴史を解説」として纏めてみましたので宜しければご参考にしてください。
市川團十郎の襲名と披露興行は?
襲名発表
本日2019年1月14日の記者会見で襲名が発表されました。
会見は口上と、質疑応答の二部構成で執り行われました。
【海老蔵 来年「團十郎」を襲名】https://t.co/0lrDqVJOFU
歌舞伎俳優の市川海老蔵が、東京・歌舞伎座で会見を開き、十三代目市川團十郎白猿を襲名することを発表。長男の堀越勸玄くんが八代目市川新之助を名乗り、初舞台を踏む。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2019年1月14日
市川海老蔵さんの市川團十郎襲名口上が行われ、引き続いて長男の勸玄君が新之助襲名口上を行いました。
大名跡の市川團十郎、歴史あるずっしりと重たい江戸時代から続く伝統を背負い、その重さと責任をひしひしと感じていらっしゃる事でしょうね。
勸玄君の口上が可愛らしかったですね。
「このたび、ちちもなのっておりました、いちかわしんのすけのみょうせきを、8だいめとして、そうぞうくいたします。どうぞよろしくおねがいいたします。」
全くつっかえることもなくしっかりと口上をはたしましたね。
ちょっと涙が流れてしまいました。
襲名おめでとうございます。
記者会見で、遊びとお稽古とどっちが好きかと聞かれて、お稽古と答え、海老蔵さんはかつて遊びとこたえたらしく、本当かなんて笑いながら茶化していましたが、心強く思われたことでしょうね。
襲名披露興行はいつから?
いよいよ市川團十郎を目にする襲名披露興行はいつから行われるのでしょう。
来年2020年の5月、6月、7月の歌舞伎座を皮切りに、全国各地で襲名披露興行が行われます。
お父様が亡くなられて寂しかった團十郎の姿が、いよいよ来年から見られると思うと楽しみでなりません。
市川團十郎といえば ”にらみ”。
海老蔵さんの目は大きく鋭く、前から市川團十郎として ”にらみ”がぴったり似合う役者さんだなと思っていました。
楽しみな襲名披露興行
襲名披露興行が楽しみでなりません。
先代、12代目の市川團十郎さんの時には、大変な賑わいとなり「30億円興行」と呼ばれました。
11代目が亡くなってから20年も空席が続き、待ちに待った襲名でした。
2年前に発表が行われ、通常1か月と言われていた興行を3か月行いました。
襲名披露パーティーには中曽根康弘首相、田中角栄元首相も駆けつけ、団十郎家ゆかりの成田山新勝寺でお練りを行った際には、京成上野から成田まで特別列車「団十郎号」が運行されるといった熱狂ぶりでした。
ところで、襲名興行の期間ですが、12代の團十郎さん以外に3か月間行ったのは、亡くなられた中村勘三郎さんのみです。
一昨年の人気の橋之助改め芝翫さんでさえ、興行期間は2か月。
それだけ大きな名跡であり、お客さんを集められるという人気の証でもあり、人気実力を兼ね備えた期待の証ではないでしょうか。
新元号下での歴史的な一大イベントとなる事でしょう。
白猿とは何で、どういう意味でしょう
市川海老蔵さん、「十三代目市川團十郎白猿」を襲名するとおっしゃっていましたよね。
白猿とは何でしょうか。単に市川團十郎ではないのでしょうか。
白猿のことを俳名といいます。
歌舞伎の役者さんは、俳句を詠むときのペンネーム、雅号を持っており、江戸時代に俳句を楽しむ歌舞伎役者が俳号を持っており、襲名の際には俳名も譲り受けることになったものです。
現代、俳句をよむよまないにかかわらず、俳名も継承するのです。
江戸時代から、歌舞伎役者を名前で呼ぶのは野暮といわれました。
屋号や俳号で呼ぶのを通としたのです。
今回、海老蔵さんは俳名として白猿を継承されることを発表されました。
これは江戸時代の5代目團十郎が名乗っていたものです。
5代目は1791年に名跡を息子に譲り、自身は市川蝦蔵(えびぞう)に改名したのですが、その際の俳名が「市川白猿」だったのです。
この方、東洲斎写楽の浮世絵で有名ですよね。
白猿の由縁は、俗説として猿は人間により頭の毛が3本足りないと言われていたそうです。
名人にはまだ三筋足りないという謙遜の意味がこもっている旨、当時5代目は口上で述べたそうです。
又、今の海老蔵さんのお父様の俳名は柏莚(はくえん)でした。
読みは同じ「はくえん」で通じるのです。
市川海老蔵さんは
「私も父や祖父にまだまだ足もとにも及ばぬ、これからもっと精進していこうという気持ちも含め、白猿を俳名として名のることにしました」
とおっしゃっているそうです。
市川團十郎という大名跡の歴史
市川團十郎家は歌舞伎の歌舞伎の市川一門の宗家です。
市川團十郎家の歴史を追ってみましょう。
市川團十郎は歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされています。
初代團十郎(1660–1704)
初代團十郎は甲州の出身。侠客であったとも。
元禄歌舞伎を代表する役者で、「立役」つまり善玉の男役を得意とし、武士や鬼神などの荒々しさを誇張して演じる「荒芸」を歌舞伎に導入したのです。
團十郎が考案した見得は「元禄見得」と呼ばれます。
左足を踏み出し、左手で刀を握り、右手を後ろへ張る見得で、「暫(しばらく)」や「矢の根」などにみられます。
二代目團十郎(1688–1758)
江戸っ子の絶大な人気を博して、現在にいたる市川團十郎家の基礎を築きました。
今に伝わる「歌舞伎十八番」の多くの作品を初演しており、二代目は役者の氏神ともいわれます。
三代目團十郎(1721–1742)
将来を嘱望されながら22歳の若さで旅先で発病し亡くなっています。
四代目團十郎(1711–1778)
実は二代目市川團十郎の実子ともいわれています。
二代目團十郎の高弟・初代松本幸四郎の養子になり、養父亡きあとは二代目松本幸四郎を襲名します。
50歳で隠居しますが、三代目團十郎が亡くなったことで、急きょ四代目を引き継ぐ事になりました。
五代目團十郎(1741–1804)
二代目松本幸四郎の子。
細工をしないおおらかな芸風で、様々な役柄をつとめ分け名人と評されたました。
どんな役でも一生懸命につとめ、生活面も真面目で、多くの人たちから尊敬され「戯場の君子」と呼ばれました。
六代目團十郎(1778–1799)
美男の役者さんで人気があったようですが、22歳の若さで亡くなってしまいます。
七代目團十郎(1791–1859)
今の「歌舞伎十八番」を制定したのが7代目です。
『勧進帳』を作ったのが七代目です。
しかし、天保の改革のあおりを受け、江戸十里四方追放という処分を受けてしまいます。
息子に團十郎の名跡を譲り、自らは五代目海老蔵を名乗りました。
八代目團十郎(1823–1854)
時代は幕末の時期にあたります。
非常に人気があり、歌舞伎界のトップスターとなるのですが、何故か公演先の大阪で自ら命を絶ってしまいます。
九代目團十郎(1838–1903)
九代目を継いだのは七代目の五男でした。
時は明治維新、歌舞伎界の地位を上げ「劇聖」と呼ばれています。
十代目(贈)團十郎(1882–1956)
実は10代目はいません。
9代目には子供がおらず、娘婿として銀行員の方が継がれ市川三升と名乗ります。
しかし歌舞伎と言えば幼いころから修行するところ。
さすがに社会人からついてゆくことはできず團十郎を名乗る事はなく生涯を終えます。
そして市川三升の養子に、七代目松本幸四郎の長男が入り團十郎を継いだのです。
そして養父市川三升に10代目市川團十郎を追贈したのです。
十一代目團十郎(1909–1965)
9代から11代まで実に59年の空白期間がありました。
歌舞伎界も変わり、市川團十郎は厚遇を受ける事もなく、特別な存在でもなく、これに反発したのが11代でした。
時は戦後、歌舞伎役者たちは日本俳優協会という団体を作ります。
しかし、市川團十郎は理事にも選出されず、協会を脱退することになったのです。
ちなみに、松本幸四郎の次男が松本幸四郎を継ぎましたので、松本幸四郎家と市川團十郎家は血縁的に近い関係にあるのです。
十二代目團十郎(1946–2013)
海老蔵さんのお父様ですね。トップにたつこともなく、歌舞伎界の幹部として役割を果たされました。
十三代目團十郎(1977–
2020年襲名予定
ずっしりと重たい歴史ある大名跡。
十三代目はこの歴史ある大名跡をしっかりとついでゆかれることでしょう!
まとめ
市川海老蔵さんが市川團十郎の大名跡を、息子の勸玄君が新之助をつぐことが発表されました。
襲名披露興行は来年2020年の5月、6月、7月の歌舞伎座を皮切りに、全国各地で襲名披露興行が行われます。
来年の大きな話題のひとつとなりますね。
市川團十郎白猿の白猿とは、俳句の名称、俳名であり、五代の俳名を(父の俳名の読みが同じ)もらったものであり、精進の気持ちを込めたものである事がわかりました。
又初代からお父様の十二代まで歴史をざっとながめてみました。
歴史の重さを感じさせられ、十三代はさらに発展させてゆくものと期待に胸が高鳴ります。
「市川團十郎白猿襲名|白猿の意味や大名跡の歴史を解説」として纏めてみましたがいかがでしたでしょうか。
最後までお読みくださりありがとうございました。
コメントを残す