貴方は不安な日々の中で、希望の光を与えてくれる名言を求めていらっしゃるのでしょうか。
ままならぬ辛い日々の中で、落ち着かない心を優しく包み込んでくれる癒しの名言を求めていらっしゃるのでしょうか。
そんな貴方に届けたい名言があります。
フランスの画家ルオーの残した言葉です。
「生きるとはつらい業でも、愛することができたならなんと楽しいだろう」
つらい人生に楽しさをもたらしてくれるという「愛」の一文字は、ルオーが人生のテーマとして思索を重ねて、絞り落ちた密度の濃い一滴なのです。
この世に生きるうえで、多かれ少なかれ辛さの存在しない人などありえませんよね。
懸命に生きるほど、背中合わせに存在する、ままならぬ宿命に苦しめられるのが人間の業でしょう。
でも、つらい人生の中で愛することができれば人生は楽しくなる。
愛が、苦しくつらい人生をも楽しく掬いとってくれる。
ルオーの「愛」の言葉には、彼が人生をかけて見出した奥行きがあります。
これから名言の裏にあるルオーの人生を垣間見てみませんか。
早くから絵の才能が認められ、美術大学在学中には「ルーベンスの再来」とまで言われるほどの実力の持ち主だったルオーでしたが、画壇とは離れ、自らの人生のテーマと真摯に向きあい、独自のスタイルで作品を追求する姿は、孤高で厳しく、独特な表現手法で数多くの人々の心を揺さぶる絵画作品を残しました。
”孤高に”とはルオーの人生を的確に表現する言葉です。
ルオーの生きた時代は近代絵画が大きく飛躍した時代でした。
飛躍は光とともに開けました。閑かな部屋の中から、ドアが開かれ燦燦と降り注ぐ太陽の下に躍り出て、印象派が光そのものを描き、伝統的な画題の殻をぶちやぶり、新しい表現世界へと躍動してゆきました。
新しい表現手法が次から次に生まれ、可能性は未来の地平に向かって遥かかなたへと道が開かれていました。
新しい絵画がもてはやされ、マネやマティスやピカソをはじめ、画壇のスターたちが脚光を浴びる、そんな時代の中にあって、ルオーは時代の波を背に、ひたすら自分自身の思想と画風を追求し、伝統的な宗教画の中に人生のテーマを追求しつづけたのです。
まるで子供が描いたようにも見えるルオーの画風は、時に仲間たちにさえ罵声を浴びせられながらも、徹頭徹尾、自らの主題を追求し、一筆一筆、一心に彼の思索を絵画作品に注ぎ込み、沢山の作品を今の私たちに遺してくれました。
愛の名言はどんな状況で生まれたのでしょうか
「生きるとはつらい業でも、愛することができたならなんと楽しいだろう」
この名言は、ルオーの人生のどんな状況の下で産み落とされたのでしょう。
この名言、実は彼の絵画の作品名なのです。
その作品は、モノクロの銅版画、「ミセレーレ」という作品群の中にある連作の二枚です。
ミセレーレとは、「哀れみたまえ」を意味しています。
何故哀れみたまえなのか。それは後述しますね。
一人の苦悩にえぐられて苦しむ男が描かれた絵は「生きるとはつらい業」と題され、この作品と呼応して、幼子イエスを抱く聖母マリアの絵、母子二人のあふれんばかりの愛が零れ落ちそうな「でも愛することができたならなんと楽しいことだろう」という一対の作品のタイトル、これがご紹介したルオーの名言なのです。
この作品はどんな時代の中で生まれたのでしょう。
時は1914年、ルオーに、そして同時代の人々にとって大きな、あまりに大きな影響を与えた歴史的事件がありました。
第一次世界大戦です。
世界は人間の愚かさによって、あまりにも沢山の死が溢れていました。殺戮と悲劇に覆われた不幸な時代を背景に、絶望の淵にありながら、それでもなお愛で肯定されたこの言葉が生まれたのです。
戦争が始まったのは、ルオーは父を亡くした2年後のことでした。ルオーの住むフランスにはドイツ軍が侵攻し、眼前で戦争の惨劇が繰り広げられました。
ルオーの眼前には、あまりにも多くの悲劇と死が、人間の愚かさによってもたらされ、現実の光景として存在していました。
そんな状況が世界中にあふれていた時代を背景に、生み出された一連の作品が「ミセレーレ」つまり「哀れみたまえ」なのです。そして一連の作品の中にある一対の作品のタイトルがこの名言なのです。
「生きるとはつらい業」で描かれている、真っ暗な背景で苦悩にうちひしがれるようにうなだれている一人の男。彼は時代の辛さや苦悩、そして人間の人生そのものをあらわしているのでしょう。
そしてその対となる「でも愛することができたならなんと楽しいことだろう」に描かれている母子の愛情あふれる姿は、マリアと幼子イエスであるのと同時に、人間の心の中に普遍的に存在する、人と人をつなぐ愛の存在ではないでしょうか。
ルオーが生涯をかけて追及し続けたテーマとは
ルオーについてもうひとつ触れておきたい画題があります。
20世紀最大の宗教画家と呼ばれるルオーですが、キリストの絵と同じくらい、数多く道化師を描いています。
道化師とは、華やかなスポットライトの中で陽気にふるまい、お客さんに笑いをもたらします。
そして時に危険な曲芸を行い、大怪我や、死さえもが彼らの日常と隣り合わせに潜んでいました。
道化師には、移民など貧しい家庭の出身者が多く、彼らはサーカスの見世物として明るくお客さんを笑わせながら、時にさげすまれ、しかし世間に見せる道化の顔の裏側には、生きる苦しみを背負い、深い哀しさを秘めた現実の顔が存在しました。
ルオーは道化師が、華やかな衣装の下に、厚い化粧の下に真実の姿を隠して生きる哀しい姿を見つめ、道化師の中に人間そのものの姿を見たのでした。
道化師を通して人間が抱える根源的な辛さを表現しているのです。
「傷ついた道化師」という絵があります。
サーカスのアクロバットで傷ついたのでしょう。
父親と思われる道化師の右側で母親らしき道化師が優しく支え、左側に子供と思われる小さな道化師が父親を心配そうに見上げて愛する父親の体を支えています。
スポットライトを浴びた華やかな舞台の幕の裏側で、ひっそりと繰り広げられているこの光景は、彼らの生活が死や危険と隣り合っていることを語っており、つらい現実を愛で支えあっている事を語っています。
そこにルオーは私たち人間の姿を苦悩と救いを垣間見ているのです。
男の傷は癒えることが出来たのでしょうか。
傷ついた不幸な男と、家族の無償の愛に支えられた彼ら道化師の家族はその後どんな人生を送ったのでしょうか。
ルオーが晩年に描いたキリストの穏やかな聖顔
絵画を見る事は、まるで鏡を見るように、自分自身と向き合うようなものではないでしょうか。
ルオーにはもうひとつの大事な画題があります。キリストを描いた聖顔の多くは正面を向いています。この絵と向き合うときまるで鏡を見ているような気持になります。
ルオーの画風は、まるで子供が描いたように簡明で、しかしその絵は、何度も削っては絵具を塗りこみ、魂を作品の中に閉じ込めた渾身の痕跡が塗り重ねられた絵具の分厚さからわかります。
ルオーの聖顔の絵の前に穢れのない子供が立てば、何かしら純真な子供の心に呼応するように訴えかけてくることでしょう。
人生で経験を積んだ人にとって、それぞれの人生の時や、見る人の年輪に応じて、まるで鏡のようにその時々の心の中にある大事な何かに対して語りかけてきます。
宗教画家として歴史に名を遺したルオーにとって、大事な画題のひとつである聖顔は、キリストがゴルゴダの丘で磔になる、死を前にした顔です。
頭にいばらの冠が乗せられて、最後の日であることを暗示しています。
沢山描かれた静かなたたずまいの聖顔は、それぞれに異なるたたずまいがあります。晩年に描かれた聖顔は特に、死を前にしたとは思えぬ穏やかな表情が浮かんでいます。
ルオーが人生の終盤で見出した境地なのでしょう。
まとめ
「生きるとはつらい業でも、愛することができたならなんと楽しいだろう」
何気なく見逃してしまいそうな名言です。しかし言葉の生まれた背景、愛を追求したルオーの厳しい探求の人生を思えば、何と深く心に刺さる言葉でしょう。
どんなにつらい人生でも、希望がある。
雨や曇りの日がどんなに続いていようとも、必ず晴れの日がやってくることを教えてくれているようです。
現在とどこか通じるような時代にあって、ルオーの名言は人生に希望を与えてくれる言葉ではないでしょうか。
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