7月の和名「文月」──その語源と広がる物語

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一年には12の月があり、日本ではそれぞれに美しい和名が付けられています。
これらは単なる数字の呼び名ではなく、自然や行事、暮らしの中から生まれた季節感あふれる名前です。

7月は、古くから「文月(ふみづき/ふづき)」と呼ばれてきました。
ではなぜ、7月に「文」の字が使われるのでしょうか。そこにはいくつもの説と、それぞれの物語があります。

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説1:七夕の短冊から生まれた「文披月」

最も有名な説は、七夕に由来するものです。
七夕といえば、笹竹に色とりどりの短冊を吊るし、願い事を書く風習が思い浮かびます。

この行事は中国から伝わった織姫・彦星の物語と、日本の「棚機(たなばた)」という機織りの信仰が融合してできたもの。
古くは短冊にただ願い事を書くのではなく、文字や和歌をしたためて字や芸事の上達を願うことが多かったといいます。

当時の短冊は今のような色紙ではなく、和紙や麻紙を用い、墨で丁寧に筆を走らせたものでした。
中には平安貴族の女性が自作の和歌を吊るした記録もあります。

こうした「文(ふみ)を披(ひら)く月」=**文披月(ふみひらきづき/ふみひろげづき)**が語源になった、というのがこの説です。
やがて言葉が短くなり「文月」と呼ばれるようになったとされます。

説2:書物を虫干しする「文開く月」

もうひとつの説は、書物の虫干しに由来します。
湿気の多い日本や中国では、書物や衣類を梅雨明けの晴天に広げ、風にあてて乾燥させる習慣がありました。

特に中国では七夕の頃に書物を虫干しすることが多く、これを**「文を開く月」**と呼びました。
古代では紙や絹の書物が貴重で、虫食いやカビから守るために欠かせない作業だったのです。

文化の伝来とともにこの習慣も日本に伝わり、「文を開く月」が転じて「文月」になったとする説もあります。

説3:稲の穂を含む「穂含月」

三つ目は農耕に関わる説です。
旧暦7月は、現代の暦で言うと8月中旬から9月上旬頃にあたります。
この時期は稲穂がふくらみ始め、収穫の近づく季節です。

その様子から、**「穂含月(ほふみづき)」「含み月」**と呼ばれ、それが「ふみづき」に変化したと考えられます。
農耕が生活の中心だった時代には、稲の実りは人々の暮らしそのものを象徴する出来事でした。

「文月」という漢字は後から当てられた可能性があり、稲作文化の名残が今も月名に息づいているともいえます。


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旧暦と新暦の季節感の違い

現代の7月は夏真っ盛りですが、旧暦7月は初秋の始まりです。
そのため、7月には**「涼月」(涼しい風の吹く月)、「初秋」(秋の始まり)、「親月」**(収穫を迎える月)といった別名もあります。

この季節感のズレを知ると、文月に秋を感じさせる名前が多い理由が納得できます。
旧暦の行事や暦の言葉は、自然とともにあった昔の暮らしを映し出しているのです。

英語「July」の由来

和名とは別に、英語の「July」にも面白い由来があります。
これは古代ローマの政治家であり軍人でもあった**ユリウス・カエサル(Julius Caesar)**の名にちなみます。

カエサルは暦を改め、それまでのずれを修正してユリウス暦を制定しました。
その功績を称えて、彼の誕生月が「Julius」の名で呼ばれるようになったのです。

さらに翌月の「August」も、カエサルの養子で初代ローマ皇帝となったアウグストゥスにちなみます。
こうして西洋の暦にも人物名が刻まれ、今も使われ続けています。

まとめ

「文月」という名前には、七夕の文披月、書物を開く月、稲の穂含月など、さまざまな説があります。
そのどれもが、人々の暮らしや祈り、自然との関わりを背景に持っています。

何気なく使っている月の呼び名も、その由来を知ると季節の見え方が変わります。
来年の7月には、空を見上げ、稲穂を思い、短冊に願いを書く──そんな風に文月を味わってみてはいかがでしょうか。


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