かつて「ベルサイユ宮殿にはトイレがなかった」という話をよく耳にしますが、実はトイレはありました。
王や王妃専用のトイレや、来訪者用のトイレもあったのです。
しかし数が圧倒的に少なく、使う人は限られていました。
・広大なベルサイユ宮殿にあまりにも少ないトイレの数
・トイレが無ければ当然・・・
・ベルサイユ宮殿を作ったルイ14世の知られざる下事情
・恐るべき糞尿まみれのパリの町
・現在のベルサイユ宮殿のトイレ事情
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かつてのベルサイユ宮殿のトイレ事情
ベルサイユ宮殿にどれくらいトイレがあった?
ベルサイユ宮殿には、王や王妃専用の立派なトイレはありました。
しかしそれ以外は常設のトイレではなくて立派な椅子式のおまるがあったのです。
その意味ではトイレは無かったという言い方もあながち間違ってはいません。
椅子式おまるの数は、ルイ14世の時代に274個だったといわれます。
椅子の真ん中に丸い穴が開いており、汚物を受ける「おまる」がくっついていました。
当時のフランスでは貴族の家ですらトイレは珍しく「おまる」が一般的だったのです。
椅子式「おまる」はほとんどが王族たちに使われるものでした。
さすがにベルサイユの椅子式「おまる」の多くは立派なもので、革張りされクッションがとりつけられたりしていました。
ポンパドゥール婦人など衣装に合わせて、いくつもの椅子式おまるを持っていたそうです。
どれほどトイレの数が少ないか
宮殿に出入りする人の数は、1000人の王侯貴族に4000人もの召使と言われています。
宮廷を訪れる人は3000人から多い日には10000人もの人が訪れていたそうです。
舞踏会の夜、5000人がベルサイユ宮殿を訪れていたとしましょう。
舞踏会ともなれば、お酒も入りトイレは近くなる。。
絶望的に数の足りないトイレ。。
ベルサイユ宮殿でトイレはどうしていたのか
宮殿を訪れる貴族たちは自分たち用の携帯の「おまる」を持参していました。
又、にわかには信じ難い実話でが、紳士淑女達はそこらへん、つまり庭やなんと部屋や廊下の隅っこで”なさっていた”のです。
当時の女性は、大きく膨らんだ「フープ・スカート」をはいていました。
実はこれが人知れず排泄しやすく、大変役に立ったのです。
豪華絢爛で華麗なるベルサイユ宮殿の夜会。
糞尿だらけの匂い芬々たる状態だったのです。
糞便まみれの耐えがたい臭さ
さて、訪れた貴族たち持参の「おまる」の中身はどうしていたのでしょう?
従者たちがあの華麗なる庭園に捨てていたのです。
そもそも、そこらじゅうで糞便をなさっていたわけですから、これではせっかく携帯用のトイレを持参したと言ってもそこらへんで”なさっていた”のと同じ事。
再び想像してみてください。
一人の排便は1日に150~250g 仮に200gとして宮殿で生活する人は4000人で800キロ、そして夜会に訪れる貴族の数を含めれば1トン以上の大小便が垂れ流されていた計算になる。。
その匂いたるや。。
意外な言葉の語源
一生懸命庭づくりをしている宮廷の庭師は当然怒りました。
立ち入り禁止の「立札」を立てたのです。
「立札」をフランス語でエチケットと言います。
これが、礼儀やマナーを表す言葉の語源となったのですから、全く皮肉です。
仮にベルサイユ宮殿で1日1トンの糞便が垂れ流されたとすれば。
さらに想像を膨らませると、30日で30トンとなり、1年で実に360トンに。
事実あまりの臭さ汚さに当時このベルサイユ宮殿は有名だったのです。
匂いをごまかすためにオレンジの果樹園を置いたという話もあるくらいです。
宮廷が離宮に移動する時期使用人たちはさあ大変、留守の間にヴェルサイユ宮殿を大掃除しなければなりませんでした。
ベルサイユ宮殿を作った太陽王ルイ14世、意外な下事情
華麗なるルイ王朝を繁栄させ、「太陽王」として知られるルイ14世。
精力的な王という印象がありますが、常に下痢をしていて排便の匂いに包まれていたといわれます。
下痢の原因を作ったのは、王様には大変気の毒な話ですが、主治医アントワーヌ・ダカンのせいなのです。
ダカンは「歯はあらゆる病気の感染源だ」と信じていました。
その説に従い、あろうことかルイ14世の歯を全部抜いてしまいました。
その結果、ルイ14世は食べる時に咀嚼する事が出来ず下剤を飲まなければなりませんでした。
下剤のせいで日に14~18回も便意をもよおし、いつも椅子式の便器に腰かけていたのです。
臣下の者たちは香水を染み込ませたハンカチで匂いに耐えていたのだとか。
その昔パリは汚かった。
ヨーロッパはずっと衛生的でなかったのかといえばそうではありません。
かつてローマ帝国には下水が完備し、一般家庭にまで直結しており非常に衛生的な国でした。
テルマエ・ロマエでも有名な浴場も充実していました。
しかしローマ帝国が滅び中世になるとヨーロッパの衛生面はすっかり退化したのです。
ベルサイユ宮殿ですらあのありさまですから、パリの町はいかばかりだったか。
余談になりますがちょっとパリに視点を移してみましょう。
パリでトイレのない家はざら。
家にトイレがないということは、つまり街路などで公然と排泄をしていたということです。
パリに下水が完備するまで
下水のないパリで一般家庭にトイレがあったとしても「おまる」。
「おまる」がいっぱいになれば当然ながら捨てなければなりません。
何と溜まった汚物は窓から「ガルディ・ルー!」(水に気をつけろ)と叫んで公道に投げ捨てていたのです。
うっかり道を歩けやしない。。
想像を絶する府尿の悪臭。
空から降ってくる汚物を避けるために日傘が生まれ、地面に流れる汚物を避けるためにブーツやハイヒールが広まったのでした。
悪臭を避けるために香水が生まれたのです。
花の都のイメージが崩れ落ちます。
下水が完成し町が浄化されるにはナポレオン3世の手によるパリ大改造まで待たねばなりませんでした。
1880年代になってようやく完備、し尿処理が行われるようになったのです。
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現在のベルサイユ宮殿のトイレ事情
さて、最後に現在のベルサイユ宮殿のトイレ事情をお話しておきましょう。
さすがに現在のベルサイユ宮殿は中世のようなことはありませんが、今なおトイレの数は非常に少なく、訪れる際には注意しなければなりません。
広大な宮殿を回るには少なくとも2,3時間は欲しいところ。
混雑シーズンには観光客の人数に対してあまりに少ないトイレの為、大行列で我慢の阿鼻叫喚となることも。
実は今でもベルサイユ宮殿のトイレは要注意なのです。
宮殿を訪れる場合には必ずトイレを済ませておきましょう。
又、宮殿についたら絶対最初にトイレへ行っておきましょう。
さて、ここまで読んで日本に生まれたことをラッキーと思われた方も多いのではないでしょうか。
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