・クリスマス曲の定番「赤鼻のトナカイ」には、原作の物語「ルドルフ赤鼻のトナカイ」があった。
・物語「ルドルフ赤鼻のトナカイ」には、病の妻を看病しながら、娘の為に作った感動の実話があった。
・「ルドルフ赤鼻のトナカイ」の物語。
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クリスマスの名曲「赤鼻のトナカイ」には原作「ルドルフ赤鼻のトナカイ」の物語があった
クリスマスの定番ともいえる「赤鼻のトナカイ」の歌。
この歌は有名なジョニー・マークスにより作詞作曲され1949年にリリースされました。
実はこの歌には、原作にあたる物語があるのです。
物語を書いたのはジョニー・マークスの妻の姉の夫、つまり義兄にあたるロバート・L・メイ。
娘の為に書いた「ルドルフ赤鼻のトナカイ」という物語でした。
そしてこの物語の誕生には、心動かされるエピソードがあったのです。
「ルドルフ赤鼻のトナカイ」が生まれるまでの悲しくも心温まるお話
原作の物語「ルドルフ赤鼻のトナカイ」が生まるまでのエピソードには、物語以上に感動的な、しかし悲しい実話がありました。
「ルドルフ赤鼻のトナカイ」の作者は、病の妻を看病しながら娘を育てる貧しいコピーライターだった
原作者のロバート・L・メイは、アメリカの裕福な家に育ち優秀な成績で大学を卒業しましたが、時は大恐慌ブラックマンデーの時代でした。
両親は財産を失い、メイは通信販売会社に就職してコピーライターとして働いていました。
やがて彼には妻エヴリンと娘バーバルの暖かい3人家族に恵まれます。
しかし幸せは長く続きませんでした。家族に不幸が襲います。
愛する妻に癌が見つかったのでした。
病状が悪化してゆく妻の薬代や治療費を稼ぎながら、貧窮の中で娘を育てていました。
パパどうしてうちのママはみんなのママと同じじゃないの?
妻は、余命いくばくもなく病床に臥せるようになっていました。
「パパ、どうしてうちのママはみんなのママとおなじじゃないの?」
まだ現実を理解できるほど成長していないあどけない娘はメイに尋ねました。
寝たきりの母親へ甘える事の出来ない寂しさの中で。
メイは貧窮の生活の中、娘にしてあげる事には限りがありました。
せめて娘の気持ちだけでも明るくしようと、物語を創作し語って聞かせたのです。
サンタクロースの橇を曳くトナカイ、ルドルフの話を。
メイが創作し娘に語った感動の物語とは
トナカイにとって名誉なことは、サンタクロースの橇を曳く事です。
そして今年もクリスマスがやってきました。
有名な8頭のトナカイたちが集められました。
さあ、世界中の子供たちのもとへプレゼントを届けよう。
しかし出発の日、サンタと8頭の選ばれたトナカイは困ってしまいました。
霧に覆われてしまったのです。
深い霧の中ではサンタがプレゼントを届ける煙突をみつけることはできません。
しかし、サンタはふと一匹のトナカイが頭に浮かびました。
ルドルフというトナカイです。
鼻が真っ赤で、普段から馬鹿にされていた存在でした。
しかしサンタはルドルフのピカピカの真っ赤な鼻が、暗い夜道の中で役に立つと気づいたのです。
サンタの橇を曳く9頭目の名誉あるトナカイに選ばれたのです。
僕が名誉ある役に選ばれるなんて。。。ルドルフは信じられませんでした。
真っ赤なピカピカの鼻のルドルフはトナカイたちの真ん中に立ち、サンタを橇に乗せて出発しました。
ルドルフのピカピカの赤い鼻のおかげで迷うことなくプレゼントを子供たちに届けることが出来たのです。
そして、馬鹿にされていたルドルフは今や人気者となったのです。
娘は物語を気に入りメイは物語を絵本にした
絵本は完成したけれども。。。
「ルドルフ赤鼻のトナカイ」のお話を娘はとても気に入り、何度も何度もメイにお話してくれるようせがみました。
メイはこのお話を絵本にしようと決めました。
夜、娘が眠った後、娘の喜ぶ顔を思い浮かべながら作業を続けました。
しかし、そんな矢先、不幸が訪れます。
メイの妻がついに亡くなってしまったのです。メイは悲しみにうちひしがれました。
しかし彼には、妻との間に生まれた愛娘がいました。
メイは愛する娘のため、悲しみの中で絵本をついに完成させたのです。
会社のクリスマス会に集まった人々が物語を聞いて涙する
その年の冬、会社では恒例のクリスマスパーティーが開かれました。
皆、妻を亡くして気を落としているメイの事を気遣っていました。
あまり気乗りしていなかったメイも参加する事にしたのです。
パーティーでは参加者が歌を歌ったりかくし芸を披露したりしました。
そしてメイに順番が回ってきたとき、彼は亡き妻を思いながら、娘のために作った物語を、ぽつりぽつりと語り始めたのでした。
会場はみなその物語に聞き入りシーンとなりました。
そしてメイが語り終わった時、感動した人々はメイに万雷の拍手を浴びせたのです。
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本として出版、クリスマス定番の歌「赤鼻のトナカイ」が生まれるまで
メイの通信販売会社は、メイの詩を書いた無料の小冊子を配布しました。
買い物客たちはその物語に魅了され、発行部数は250万部に達しました。
第二次世界大戦下、紙の統制が行われその後、冊子は配布できませんでしたが、7年後に再発行され今度は360万部も配布されたのです。
すると、この詩を朗読したレコードを発売したいとの話が舞い込んできました。
詩の版権はメイの会社にありましたが、社長はメイに無償で権利を与え、レコードは売れて人々を魅了しました。
続いてニューヨークの出版者から、ルドルフの物語を出版することになりました。
既に人々に知られたお話となっており、出版社はそれほど売れるとは思っていませんでしたが、予想を覆しベストセラーとなったのです。
そしてメイの亡き妻の妹の夫、つまり義弟のジョニー・マークスのインスピレーションを刺激し、「ルドルフの赤鼻のトナカイ」を歌にしたいとメイにもちかけ、クリスマスの名曲「赤鼻のトナカイ」が生まれたのです。
亡き妻が天からメイに力を貸してくれたのかもしれませんね。
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