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大林宣彦とは誰か?
日本映画史において、大林宣彦ほど“異彩”という言葉が似合う映画監督はいないかもしれません。
CMディレクター出身、広島県尾道市出身。自らのふるさとを舞台に「尾道三部作」(『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』)を撮り、80年代の青春映画にまったく新しい風を吹き込みました。
しかし彼の本質は“青春映画の名手”にとどまりません。彼は、映画というメディアの本質を深く理解し、それを徹底的に“作り物”として扱うことで、逆説的に“真実”を語り続けた監督です。
「映画は“嘘”です。でも、嘘だからこそ真実を語れる」
映画は“嘘”です。でも、嘘だからこそ真実を語れる ― 大林宣彦
この言葉に、大林監督が映画という表現にかけた信念と愛情、そして芸術家としての覚悟がすべて詰まっています。
嘘=作り物、作為的な演出をあえて引き受ける
大林監督の作品には、
- 唐突なナレーション
- 時間軸の飛躍
- 観客に語りかけるようなセリフ回し
- チープとも見える演出(わざとらしさ)
こうした要素が随所に散りばめられています。
それを「臭い」と感じる人もいるかもしれませんが、あれは意図的な“演劇性”なのです。
つまり、「映画は現実じゃないよ」という“嘘の約束”をあらかじめ観客と交わしておくことで、むしろその内側にある“ほんとう”を掘り出す。
なぜ“嘘”が“真実”を語るのか?
現実はしばしば、
- 言葉にできない痛み
- 目を背けたくなる悲しみ
- あまりに美しすぎる一瞬
を内包しています。
それを真正面からリアルに描くと、受け手は傷つくか、心を閉ざしてしまう。
でも、映画という“嘘”の世界ならば、
- その痛みをファンタジーに
- その悲しみを郷愁に
- その美しさを永遠の一瞬に
昇華できる。
大林映画は、まさにその「昇華」の装置でした。
そして彼は信じていました。
人が人生をかけて紡ぐ「物語」こそ、ほんとうの現実に働きかける力がある。
日本映画のなかで、大林宣彦ほど「作り物」であることに自覚的であり、誠実だった監督は、他にいないかもしれません。
時にあざとく、わざとらしく、大仰で―― けれど、それは“ウソくさい”のではなく、“映画であることへの信頼”の表れでした。
大林宣彦監督の“最後の闘い”
晩年、大林監督は末期がんを宣告された後も、
- 『花筐(はながたみ)』(2017)
- 『海辺の映画館 キネマの玉手箱』(2020)
といった作品を発表し続けました。
そこでは、より一層「反戦」「命」「記憶」「映画の力」といったテーマが強く打ち出されています。
つまり彼は、「死にゆく身体」を持って、「生きる映画」を撮り続けた。
この姿勢に、彼の言葉――
映画は命の記録である
が重なって響きます。
さらに、最晩年に語ったこの言葉もまた、彼の映画哲学と人生観を象徴しています:
人生には“なりたい自分”になる自由がある。 でもその自由には、責任が伴う ― 大林宣彦『最後の講義』
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大林宣彦 映画ランキング(代表作)
「大林宣彦 映画 ランキング」で検索する方に向けて、おすすめ作品を厳選して紹介します。作品選定の基準は、筆者の独断で判断しています。
1位:『時をかける少女』(1983)
筒井康隆の原作をもとに、主演・原田知世の初々しさが光る青春SFの傑作。時間跳躍と初恋の切なさが交差する、“時”と“記憶”の物語。
2位:『転校生』(1982)
少年と少女の心と身体が入れ替わるというユニークな設定を通じて、性と成長、視点の転換を描く名作。尾道の坂道や風景が鮮烈な印象を残す。
3位:『さびしんぼう』(1985)
音楽と記憶が交錯するノスタルジックな世界。青春の終わりと家族の愛を静かに描いた“尾道三部作”の締めくくり。
4位:『HOUSE/ハウス』(1977)
デビュー作にして超異端。少女たちが次々と怪奇現象に襲われるホラー…のようでいて、実はポップで前衛的な映像実験。カルト的人気を誇る。
5位:『異人たちとの夏』(1988)
亡き両親と再会する男の幻想的な夏。原作は山田太一。切なくもあたたかい“死者との対話”を描いた、大林流のヒューマンドラマ。
6位:『ふたり』(1991)
姉の死をきっかけに妹が成長していく姿を描いた作品。死んだ姉が幽霊として登場するという点でも、大林的“死生観”が色濃く反映されている。
大林宣彦 映画の本質とは?
“作り物”という前提を引き受けたうえで、人間の奥底にある真実――愛、記憶、命――を描き出すこと。
そしてそれを、
- ユーモアと郷愁
- 少年少女の視線
- そして“やさしさ”で包みながら伝えていく。
それが、大林宣彦監督の映画だったのではないでしょうか。
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