大林宣彦監督は私の敬愛する監督の一人です。
NHKの番組「最後の講義」に出演されました。この番組は「もし今日が人生最後だったらどんなメッセージを残すのか?」という趣旨で、未来に残すべき言葉を語るのです、
しかし大林監督は既に末期癌、まさに最後の講義として言葉のひとつひとつが心に迫るものでした。
いつもにこやかな優しい笑顔がトレードマークで、愛に溢れた真情あふれる言葉を紡ぎ出される監督です。
しかし画面に登場した大林監督は見違えるほどにすっかりやせ細り、大学の大教室で、当初はマイクなしで肉背により学生達に語り掛けていましたが、その声はあまりにも弱弱しく、早々にマイクが差し出されました。
その昔、まだ映画館がそこらじゅうにあり、二本立てで名画を上映しているような時代を私も生きました。映画は映画館かテレビでしか見ることが出来なかった時代。
一体何本の映画を見たのかわからない、その数多くの作品の中、当時まだ新進気鋭だった大林監督の映画も見に行きました。
ちょうど、「転校生」、「時をかける少女」、「さびしんぼう」 の尾道三部作が話題になっていた時代です。
大林監督の出身地である尾道を舞台にしたこの三部作の中でも特に「転校生」は素晴らしい作品だと思っていますが、散策とも共通して映画は、当時まだ高校生くらいの尾身としのりが中心にいました。
今はすっかりおじさんになって、バイプレイヤーとしてドラマを支える名俳優になった尾身sんですが三部作において彼は、おそらく若き日の大林監督の写し鏡なのでした。
「大林宣彦監督の癌と戦う映画人としての経歴」として監督の経歴を纏めてみました。
生まれ~幼年時代
1989年1月9日広島県尾道市生まれです。
風光明媚な瀬戸内海に面した坂の町、最近は外国人も多く訪れる故郷を監督は愛し、多くの作品が尾道を舞台にして撮影されています。
お父様は、尾道で何と六代も続くお医者さんの家系、お母様も医者の家系の方で、大林監督は長男として生まれました。
本来、医師として家を継ぐべく生まれてきたようなものですね。
恵まれた家庭に生を受けた大林監督は幼いころから、映画と親しんできました。
時は戦争の時代、父は軍医として出征され、その間、同じ尾道にあった母の実家で暮らしますが、既に2歳でブリキの映写機のおもちゃを与えられて遊び、何と6歳で既に35mmフィルムに直接手書きしてアニメーションを作ったりして遊んでいたそうです。
普通、あの映画を見たから監督になった、というお話を聞きますが、映画を見るよりも前に既に映像に親しまれた稀有な方です。
少年時代
尾道は大林監督の前から映画の街。特に小津安二郎監督の名作「東京物語」は、故郷を離れて東京で暮らす兄弟と両親のお話ですが、故郷は尾道が舞台として描かれ、その尾道のシーンは有名です。
実はこの映画が撮影された時、大林監督は15歳だったそうです。実際に撮影現場を見ていらっしゃいます。
映画をこよなく愛していた大林少年はどれほど胸を躍らせた事でしょう。
高校から大学へ
大林宣彦監督といえば、ピアノを愛しショパンを愛することで有名ですね。さびしんぼうではショパンの別れの曲がずっと流れていました。
ショパンへの傾倒は、16歳の時に読んだ福永武彦の「夏の花」に影響されたようです。美しい恋愛小説で一読の価値ありです。、ショパンの話や芸術論、コンサートの帰り道の描写が印象的です。
大林宣彦監督の高校時代はピアノや漫画、演劇など広く芸術全般に関心をもつ高校生活を送られました。
大学は上京して、1956年に成城大学文芸学部芸術コース映画科に入学されました。医学の道ではなく、映画に導かれるように映像への道へ進んでゆかれたのですね。
入学試験の逸話が有名で私は大好きです。
大林宣彦監督はボードレールに憧れていて、入学試験中、何と大胆にもポケットからウイスキーを出して飲みながら答案用紙に書いていたら、試験監督に「良い香りがしますな」と言われ、「先生も一献いかがですか」と言ったら、「頂戴しましょう」と。何と試験中に酒を酌み交わしたとか。
大林監督も大林監督なら、その先生も大したものですね。
大学では授業に全くでないで、お洒落にも首に赤いスカーフを巻いて一日8ミリカメラをもってグランドピアノでシャンソンを弾いていたそうです。カメラで聞きに来る女学生を一コマづつとっていたとか。
何とキザな、と思いますが大林宣彦監督の若い頃を想像すれば、監督だからこそ絵姿になっていたのではないだろうかと想像しますね。
ここで書いておくべきは、その女性の中から、一年後輩だった奥様を見出されているのです。
運命の出会いですね。奥様は大林宣彦監督の映画をプロデューサーとして支え、二人三脚で映画の道を歩いてこられたのは有名ですよね。
奥様は、大林宣彦監督が、大学時代に撮影した二作目の映画「絵の中の少女」でヒロインを演じていらっしゃいます。
今、大学では映画研究会は必ず存在し、自主映画も数々制作されていますが、当時、自主製作映画という概念はなかったそうです。大林宣彦監督先駆者でした。
そして草創期の自主映画製作者と一緒に、実験映画製作のグループ「フィルム・アンデパンダン」を立ち上げて活動していらっしゃいます。
世に出る
大林監督は、CMの世界から世に出られました。
1964年に東京新宿の紀伊國屋ホールが開館した際に、「60秒フィルムフェスティバル」が企画されました。そこで上映された『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』をたまたま電通のプロデューサーの目に留まりに、CMディレクターとして本格的に活動されるようになりました。
当時は高度経済成長の時代。CMは成長産業でした。何と一日一本のペースで作られたのだそうです。
大林宣彦監督が手掛けられた、有名なCMとしては、初めてハリウッドスターを起用し、チャールズブロンソンが出演した男性化粧品「マンダム」です。
当時を知る人誰でも知っている大ヒットCMです。
当時、私は小学生でしたが、あごに何かついているよと言われ、さすったら、みんな口をそろえて「マンダム」と言うのが流行っていました。
CMでチャールズブロンソンが同じしぐさで最後に決め台詞として「マンダム」と言うわけです。実はこの会社、倒産寸前の危機でした。CMのヒットのおかげで会社業績もV字回復したのです。
映画製作へ
初めての商業映画は1977年の「HOUSE」、7人の少女が家に食べられるホラーファンタジー映画で実写とアニメを合成した、かなり実験的な映画です。
中々作品として世に出るのに苦労しました。しかしCM界出身ならではの人脈や手法を利用し様々なアイデアで世に送り出したのです。
この最初の作品は、実験的な意欲作で、同時代の映画界の注目を集めています。海外でも評価されました。
助監督経験なし、CM界からいきなり監督というのも当時としては特異な経歴でした。
そして尾道三部作、そして今に至るまで数々の作品を世に送り出して来られました。
HOUSE ハウス(1977年7月30日公開 東宝)
瞳の中の訪問者(1977年11月26日公開 ホリプロ/東宝) –
ふりむけば愛(1978年7月22日公開 東宝)
金田一耕助の冒険(1979年7月14日公開 東映)
ねらわれた学園(1981年7月11日 東宝)
転校生(1982年4月17日公開 松竹)
時をかける少女(1983年7月16日公開 東映)
廃市(1984年1月2日公開 ATG)
少年ケニヤ(1984年3月10日公開)
天国にいちばん近い島(1984年12月15日公開 東映)
さびしんぼう(1985年4月13日公開 東宝)
姉妹坂(1985年12月21日公開 東宝)
彼のオートバイ、彼女の島(1986年4月26日公開 東宝)
四月の魚(1986年5月31日公開 ジョイパックフィルム)
野ゆき山ゆき海べゆき(1986年10月4日公開 ATG)
漂流教室(1987年7月11日公開 東宝東和)
日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群(1988年3月29日公開 アートリンクス)
異人たちとの夏(1988年9月15日 松竹)
北京的西瓜(1989年11月18日公開 松竹)
ふたり(1991年5月11日公開 松竹 原作:赤川次郎)
私の心はパパのもの(1992年6月13日公開 東北新社/ギャラクシーワン)
彼女が結婚しない理由(1992年6月13日公開 東北新社/ギャラクシーワン)
青春デンデケデケデケ(1992年10月31日公開 東映)
第16回日本アカデミー賞優秀監督賞
はるか、ノスタルジィ(1993年2月20日公開 東映)
第17回日本アカデミー賞優秀編集賞
水の旅人 -侍KIDS-(1993年7月17日公開 東宝)
第17回日本アカデミー賞優秀編集賞
女ざかり(1994年6月18日公開 松竹 原作:丸谷才一)
あした(1995年9月23日公開)
三毛猫ホームズの推理〈ディレクターズカット〉(1998年2月14日公開 PSC、ザナドゥー)
SADA〜戯作・阿部定の生涯(1998年4月11日公開 松竹)
第48回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞
風の歌が聴きたい(1998年7月17日公開 ザナドゥー)
麗猫伝説 劇場版(1998年8月16日公開 PSC)
あの、夏の日 〜とんでろ じいちゃん〜(1999年7月3日公開 東映)
マヌケ先生(2000年9月30日公開 PSC)
淀川長治物語・神戸篇 サイナラ(2000年9月30日公開 PSC)
告別(2001年7月14日公開)
なごり雪(2002年9月28日公開 大映)
理由(2004年12月18日公開 アスミック・エース)
転校生 -さよなら あなた-(2007年6月23日公開 角川映画)
22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語(2007年8月18日 角川映画)
その日のまえに(2008年11月1日公開 角川映画)
この空の花 -長岡花火物語(2012年4月7日公開)
野のなななのか(2014年5月17日公開)
花筐/HANAGATAMI(2017年12月16日公開、製作:唐津映画製作推進委員会/(株)PSC)
海辺の映画館―キネマの玉手箱―(仮題)(2018年7月にクランクイン来春公開予定)
つばき、時跳び(2019年公開予定)
まとめ
「大林宣彦監督の癌と戦う映画人としての経歴」として、愛する大林宣彦監督の人生を振り返ってみました。
まだまだ、作品を残してほしいという思いでいっぱいです。
奇跡が起きて監督の体力が復活しないものか。。
映画人としての人生を生ききることが大林監督の本望でしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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