・もともと12月25日は伝統的な冬至の祝祭日だった。
・冬至の祝祭日がクリスマスに変わった理由。
・クリスマスは実はイエスキリストの誕生日ではない。
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もともと12月25日は伝統的な冬至の祝祭日だった
12月25日といえば楽しいクリスマス。
でも実は、キリスト教の祝祭日となる前、ヨーロッパの伝統的な冬至のお祭りだったのです。
キリスト教が布教活動の中で、伝統的な冬至のお祭りの日をクリスマス(キリストのミサ)としたのでした。
いつしか、人々が慣れ親しんでいた冬至の祝祭日は、見事にクリスマスへと変化しました。
どうして伝統的なお祭りがクリスマスに変わったのでしょう。
それは冬至がヨーロッパの人々にとって希望の象徴ともいうべき大事なものだったからこそでした。
ヨーロッパの人々にとって冬至とはどんなものなのか?
ヨーロッパの人々にとって、冬は悪霊が暴れる季節です。
恐ろしく寒く長い夜に支配される冬をただ静かに耐えました。
光あふれる春をじっと待ち望んだのです。
サンタクロースの故郷、北欧にいたっては終日闇に閉ざされ、どれほど春が待ち遠しい事か。
冬至は長い夜が短くなる春への起点です。
太陽がまるで生まれ変わったかのように感じる事でしょう。
フランス語でクリスマスをノエルといいます。
一説によるとノエルの言葉の語源はノイオ(新しい)ヘル(太陽)と言われます。
まさに春への喜びが込められていますね。
歴史の古い冬至のお祭り!古代に中央アジアから広まった?
紀元前1500年、インダス文明が滅びた後、中央アジアはアーリア人が征服していました。
一説によると中央アジアから四方へ広がり、ヨーロッパやインドの祖先になった(いわゆるインド・ヨーロッパ語族)ともいわれるアーリア人の間に、太陽神(ミトラ神)を信仰するミトラ教が広まっていました。
ミトラ教にとって冬至は、太陽が力を増し始める大切な日でした。
冬至とされた12月25日は大事な祝祭日だったのです。
そのことを証明するかのようにゲルマン人やケルト人、北欧の国などヨーロッパの各地で冬至を祝祭日とする伝統が根付いていました。
ローマ帝国で流行していたミトラ教の祝祭日とサトゥルナリア祭
クリスマスが誕生したローマ帝国では、冬至をどのように祝っていたのでしょう。
ローマ帝国は紀元前1世紀に小アジアを征服しました。
その小アジアからミトラ教が伝わり大流行して、冬至の日はミトラ神のお祭りが盛大に行われていたのです。
ローマにはさらにもうひとつ冬至を祝うお祭りがありました。
農耕の神を祀るサトゥルナリア祭です。
五穀豊穣を願って大変などんちゃん騒ぎが繰り広げられ、プレゼントを贈りあったりご馳走を食べる風習があり、クリスマスのお祝いに引き継がれているともいわれています。
後にローマ帝国はキリスト教を国教とし、クリスマスが冬至の祝祭にかわっていったのです。
どうして伝統的な冬至のお祭りがクリスマスになったの?
太陽誕生のイメージがキリスト誕生のイメージと融合した
12月25日がクリスマスに定められたのは354年、教皇リベリウスの時代でした。
かつてはキリスト洗礼の日とされた1月6日をキリスト誕生を祝う祝祭日としていました。
しかし、12月25日をクリスマスとして新たに定め、社会に浸透していた伝統的な冬至のお祭りを吸収していったのです。
太陽が新しい生命を宿るイメージは神の子イエスの誕生を連想させ、見事に融合してゆきました。
特に寒い地方の人々にとっては、春を求める深層心理と響きあった事でしょう。
クリスマスの浸透は、キリスト教を国教とするローマ帝国の支配力となっていったのです。
後世、各王国のキリスト教による支配という、ヨーロッパの長い歴史につながってゆくのです。
そもそもイエスキリストの誕生日が何月何日なのかわかっていない
ところで、12月25日はイエスキリストの誕生日と思っている方が多いのではないでしょうか。
実は、クリスマスはキリストの誕生日ではなく、神の子キリストがこの世に誕生したことを祝う日なのです。
12月25日はキリスト誕生を祝う「キリストのミサ」を行う日なのです。
聖書のどこを探してもイエス・キリストが誕生した日付を特定することはできません。
キリストは神としてこの世に誕生したのであり、人間の子として生まれるイメージはタブーだったのでしょう。
さて、最後にクリスマスが人々の心にしっかりと根付いた事を示す逸話で締めくくりましょう。
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伝統的な冬至の祝祭日をクリスマスとしてしまったキリスト教の大成功
今、クリスマスは最もポピュラーなイベントの一つですね。
世界中の家庭に幸せを、恋人たちにロマンチックな時を与えます。
12月25日をクリスマスの日に定めた古代のキリスト教徒は、これほどの大成功を予想していたでしょうか。
しかしキリスト協会にとって、もともと異端の宗教の祝祭日であったクリスマスは、必ずしもすんなりと受け入れられたわけではなく、排斥された時代もあったのです。
しかし、いかにクリスマスが排斥されようとも、もはや人々の心から切り離すことはできない事を示す有名な出来事がありました。
フランスのディジョン大聖堂前、1951年12月24日の午後3時のこと。
教会が大聖堂の前にある広場で、250人もの子供たちが見守る中、サンタクロースの像を異端として火あぶりの刑に処したのです。
しかしわずか3時間後、午後6時の事でした。
ディジョン市庁舎の屋根の上にサンタクロースが復活し、人々に大きな喜びをもって迎えられました。
葬り去られたサンタクロースは、民衆の手によりたった3時間で復活をはたしたのです。
クリスマスは、人々の心に根付いた大切な日になっていたのです。
さて、今年のクリスマスはあなたにとってどんな日になるのでしょうか。
どうか今年のクリスマスが、あなたの大切な思い出の日となりますように。
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